Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 6 DKW Monza

 DKW Monzaは DKW 3 = 6のシャシーを流用した2+2のスポーツカー。車名はクルマ好きなら誰もが知っている、イタリアの有名なグランプリ・サーキットである Monzaから名付けられた。1956年に5つの世界記録を樹立している。



DKW 3 = 6

 1954年と1955年の2年連続でヨーロッパ・ツーリングカー選手権とラリーでクラス優勝を果たした DKW 3 = 6。そのレーシングドライバーであった Gunther Ahrensと Albrecht W. Mantzelの2人は DKW 3 = 6をベースに極めて軽いグラスファイバー・ボディのスポーツカー開発に取り掛かった。
 完成したクルマは、ドイツはStuttgartで DKWのディーラーを経営する Robert Schenkの店 Dannenhauer & Staussにて製造・販売された。DKW 3 = 6の後継車である Auto Union 1000 Spが1957年に発表されて Robert Schenkは生産を止めた。後を継ごうとした Fritz Wenkは DKW Monzaの生産継続のためにシャシーの供給継続を希望したが、1958年に Auto Unionは彼の要請を拒否。DKW Monzaの生産は終わることになる。

 1956年12月、イタリアは Monzaサーキットにて DKW Monzaは平均速度 140 km/hを含む5つの世界記録を達成している。ベースとなった DKW 3=6 よりも115kgも軽い、総重量780kgの軽量グラスファイバー製ボディと優れた空力ボディにより、最高速度は過去に造られた DKWで最も速いものになっている。

1957年のル・マンに於いて チーム Wolfgang Seidelが DKW Monzaで参戦し、151周でリタイアとなっている。



 
 エンジンは2ストローク直列3気筒という変わり種。これはクランク位相と一致した完全等間隔点火が可能で、少ない気筒数に比してスムースな回転が得られる、振動面での問題が生じにくいレイアウトという長所がある。DKWは「(回転が最もスムースなエンジンレイアウトである)4ストローク6気筒に比肩する」として‘3 = 6’と名づけていた。ラジエターがエンジン奥にレイアウトされていることに注意。
 総生産台数は230〜240台と言われている。



このリアビューはトヨタ・スポーツ800に影響を与えていると思う。