日産とプリンス 合併の裏で。。。Part5 東洋工業との合併話

 住友銀行は、プリンスの内容を調査、現状はとにかく、近い将来に貿易の自由化が行われ、資本自由化の黒船が到来したときの状態を研究分析した。その結果は、独立困難というものであった。そこで、合併の数年前、同じ住友銀行系の東洋工業(現マツダ)とプリンスとの合併を画策した。しかし、これは失敗に終わった。天才的な経営センスをもっていた松田一族最後の名社長であった2代目の松田恒次が頑強に拒否したからである。
「合併するなら、自分のところより弱い会社とはしない。強い会社、たとえば日産自動車となら考えてもよい」と松田恒次は語ったと言われている。
 住友銀行頭取の堀田庄三は、経営者としての松田恒次を特に高く評価していた。それだけに、下手に恒次を怒らせると、プリンスとの合併が頓挫するだけでなく、東洋工業との関係も悪化すると考え、プリンスとの合併の強行を行わなかった。
 プリンスと東洋工業の合併不調は、まもなく一般に伝えられた。これにより、住友銀行系のプリンスと東洋工業の両自動車メーカーには、当分合併の動きはないという憶測が財界やマスコミに支配的となっていった。それがために、突然のプリンスと日産合併のニュースはセンセーショナルに報道されたのである。
 住友銀行に限らず、富士、三菱、三和、東海、第一、三井、興銀、長期信用銀行*1といった当時の大手銀行が、自由化に備えて、あらゆる事態を想定してシミュレーションを行っていた。住友銀行の場合、東洋工業との縁談が断られて、あらたな合併先を模索していた矢先であった。そこに突然、日産自動車という大型合併の話が舞い込んできたのである。
 結局、プリンスは、通産省石橋正二郎住友銀行という関係者の思惑を絡ませながら、トヨタ東洋工業と合併を2度も模索して失敗、3度目の正直で、ようやく日産との話がまとまった。

 問題は、何故トヨタが断り、日産が受け入れたかである。

この項つづく。

*1:これらの銀行の全てが合併統合を繰り返し、名称が変わっている。