1965 The Mainichi Graphic


60年代から70年代初頭まで、各新聞社は毎年、新車發表の雜誌を發賣する事が恆例であつた。特に60年代は自家用自動車なんぞ夢の夢であつたために、大衆の憧れとしての側面がクルマにはあつた。



「YANASE」が「梁瀬」であつた時代。プリンス自動車を賣つてゐた事をご存知だらうか? 其の後ヤナセは「いすゞ自動車」を賣る事に成る。



1962年の東京モーターショーにて發表されたトヨタ・パブリカ・スポーツの走行實驗の模樣。デザインと制作はトヨタ傘下の關東自動車によるものだつた。最大の特徴は大きくスライドするルーフ。戰鬪機のキャノピーのやうであつた。



トヨタ・パブリカ・スポーツ、關東自動車での開發の一コマ。ソファーで女性の横にゐるのが開發責任者の長谷川主査。飛行機設計出身である。背後に掲げてゐるプロトタイプのデザインや、卓子に置かれてゐる模型にも注目。



結局、世に送り出されたものは、似ても似つかないデザインであつた。



こちらは、マツダのロータリー・エンジン開發時の冩眞。1965年の東京モーターショーでは、コスモ・スポーツのプロトタイプが展示されただけで、發賣は未定と成つてゐた。新聞記者たちは、果たして使ひ物に成るのか疑心暗鬼の状態であつた。開發には情報漏えいを防ぐためにあらゆる措置が行はれた。仕出し辨當も警備員立會のもとで搬入された。



幻の4ローター・エンジン。



貴重な資料の提供者はAD氏。