Musée automobile de la Sarthe  1900 Panhard et Levassor A2


1900 Panhard et Levassor A2
Daimler "Phenix" V2cyl 1653cc 4hp MAX 30km/h.

 史上初の自動車(3輪車ではあったが)を開発したのは Karl Friedrich Benzで自動車の生産、販売の企業化に積極的であったが、相棒の Gottlieb Wilhelm Daimlerは自動車にあまり関心を示さず、ガソリン・エンジンを船舶や鉄道などへの応用利用に熱心であった。彼らが自動車の販売を開始するのは 1892年のことである。この間にフランスでは自動車産業創生期の Panhard et Levassorや Peugeotが Daimlerライセンスのエンジンを搭載した優れた自動車を生産。都市間レースに出場して、その優秀性を立証。さらに性能と信頼性を高めていったというわけだ。
 もともと Panhard et Levassor社は 1845年パリ近郊に設立された。創業者が亡くなった木工機械工場を買い取ったことからはじまる。その後、50人ほどの工員を抱えてミシンを生産していた。1887年、 Daimlerのガソリンエンジンのフランスにおける製造権利を獲得した Edouard Sarazinは、その製造を友人である技術者 Emile Levassorが経営する Panhard et Levassorに依頼する。ところが Sarazinはエンジンの完成を見ることなく同年末に47歳の若さで急死してしまう。未亡人は Daimlerと交渉して、エンジン製造権の正当な継承者であることを認めさせた。そして Levassorと恋に落ち、結婚することにより、Daimlerエンジンのライセンス生産は継続されることとなった。
 Levassorは 1889年に Daimlerが前年に特許を取ったV型2気筒エンジンを搭載した4輪自動車を見る機会を得たが、大した興味を持たずにパリへ帰国。そのエンジンを搭載した、彼自身の設計による自動車の開発に取り掛かった。それは翌 1890年に完成。車体中央にエンジンを搭載し、それを中心として乗員は背中合わせに座るというレイアウトである。このレイアウトが不合理であることを Levassorは理解していた。



 そして生み出されたのが"Systeme Panhard"である。それまでエンジンは車体中央や後部の床下に備えられていたものを前方に置き、クラッチ→ギアボックス→ファイナル・ドライブと1列に並べるというレイアウトだった。これにより車高を低くすることにより高速安定性も備えられることとなった。これは大発明であり、その後ほとんどの自動車は現在に至るまで、このシステムを採用することとなる。
 また、当時「馬なし馬車」といわれていた創生期の自動車に対して、心理的に馬を取り戻すこととなった。運転する自分の前に馬がいない喪失感を払拭し、貴族や資本家などの富裕層に自動車を受け入れさせるという効果もあったのだ。