LOTUS EUROPA

 この個体は、カーグラフィック誌にとっては、いわく付きの車両である。
 
 66年頃、小林さんは欧州の自動車雑誌のように計測機器による性能テスト記事を日本でもできないかと模索していた。英国の老舗自動車雑誌である‘AUTO CAR’に手紙を送りテスト方法や機械の入手先の情報を手に入れ、クルマに第5の車輪を取り付けて計測する方法が良いとわかり、小野計測器に特注で第5輪式速度計を作ってもらった。そうこうしているうちに 60年代末、自動車メーカーと関連会社の出資により、谷田部の日本自動車研究所が完成した。これで性能を計測する環境が整ったのである。その当時、谷田部を貸し切って計測するというのは相当な出費が伴った。1時間あたり20万円くらいだったらしい。計測するのには3時間ほどかかるので、当時の日本車が100万ほどで買えた時代としては随分高いものだった。最初にテストしたのは 68年8月号の MAZDA FAMILIA ROTARY COUPEである。

 LOTUS EUROPAは当時のインポーターであった東急商事に1台だけ輸入されたものを、拝み倒してテストに借り出したもの。ところが、村山で簡単な計測をしたのだが、小林彰太郎さんの先輩のご子息で、後にCGにも原稿を書く事になる若者が、村山で EUROPAをトラックと接触させてしまい、FRP製のフェンダーが割れてしまうという事故が起きてしまった。
 小林さんは大変困った。日本にたった1台の貴重なクルマを壊してしまったのだから。このまま返してしまったらカーグラフィック誌の名誉に関わるし、ディーラーも大迷惑だ。そこで帰りの道すがら小林さんは決心する。「これはCGで買うしかない。長期テスト車にしよう」と。そうすれば読者も喜ぶだろうし、CGの名にも傷がつかない。もちろんディーラーも困らない。Evrybody happyだ、そう小林さんは考えたというのだから、素晴らしい前向きな発想の転換だと思わざるを得ない。
 車両本体は200万以上もして、当時の二玄社としては清水の舞台から飛び降りるほどの一大決心だったらしい。購入してからは、富士スピードウェイにも持ち込んでサーキットを走った。そうしたら Solexのフロートチェンバーのビスが緩んで、3本ほど飛んでしまった。初期の EUROPAは RENAULT 16のエンジンを搭載していたので、たまたま同行していた二玄社の社長車からビスを借りてまた走ったという。


 その後は元法務大臣中村正三郎氏が欲しいというので、CGは彼に譲った。見るも無残に醜く改造されて日本GPなどに出場。今回 CG FESTA 2012に出展するということでオリジナルに戻したということだ。エンジン・ヘッドにはNAKAMURAの文字が刻印されているのは悪趣味と言うべきか。。。
http://www.webcg.net/WEBCG/carscope/2012/c0000027140.html

 中村さんは自民党小渕内閣法務大臣だった時に、法の番人にもかかわらず、石垣島で自らが経営するホテルの利益を守るため、ライバルの進出妨害を狙った指揮権発動疑惑といい、パスポートを持たず来日したアーノルド・シュワルツネッガーを、超法規的措置で入国させた際、直筆の入国関連書類をシュワルツェネッガーのファンの家族のために持ち帰ったとされる一件といい、まさに スキャンダルまみれで辞任に追い込まれた人物である。