偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part19  1939 GROßER PREIS VON DEUTSCHLAND

 Belgian Grand Prixは MERCEDES-BENZチームにとって悲劇と栄光の明暗をもたらした。Seamanの死という取り返しのつかない損失を被ったが、しかしチームは5度目の連続優勝をものにし、しかも5回とも優勝者は Hermann Langだった。Caracciolaの走りに及ぼす影響を Neubauer監督は危惧していた。
 何が何でも Langに勝ってみせると決心していることを、監督は GRAND PRIX de l'A.C.F.(フランスGP)のスタート前に知り、これはドライバーとして良好な精神状態ではないと考えた。Caracciolaは稲妻のごときスタートを切ったが、第1コーナーでぶつかった石が燃料タンクに漏れをつくり、リタイアを余儀なくされた。
 MERCEDES-BENZチームにとって、この日は最悪の日となった。出場者は全部リタイアとなった。レースは Auto Unionの Müllerと Meierの2人の1−2フィニッシュ。元2輪チャンピオンの彼らは4輪に転向したばかりだった。



Grand Prix of Germany at the Nürburgring 23.07.1939. Starting scene, Mercedes-Benz 3-liter Formula One racing car W 154th Number 14 - Manfred von Brauchitsch comes off best, right at the edge of the eventual winner Rudolf Caracciola (number 12), left Hermann Lang (start number 16), right behind Caracciola Paul Pietsch (start number 32), proves to Maserati to third place, left next in the second row, Heinz Brendel with the start number 20.


 1939年7月23日に行われた GROßER PREIS VON DEUTSCHLAND(ドイツGP)。30万近くの観客が Nürburgringに集まった。天候は悪くなりそうで、Caracciolaたちは冗談に“天候は回復し、土砂降りになるでしょう”と言っていた。それほど、このサーキットの天候は変わりやすかった。まだ雨は降っていなかったが、コーナーの路面は濡れていた。天候がはっきりしないので、各チームはレイン・タイアを履くかどうか、プラグを何番にするか決めかねていた。風も強かった、レースは波乱が予想された。
 予選は Langが Rosemeyerのコース・レコードを遥かに凌駕する9分43.1秒、240km/hで走り抜けトップとなった。Caracciolaはチームメイトの Brauchitschに次ぐ3位となり、フロントラインの左端からスタートとなった。
 レースは Langの独走で始まった。彼は2位の Caracciolaに対し27秒という大差でトップに立った。2ラップ目に Langは Caracciolaとの差を40秒に広げていた。レースは彼が支配するかに見えた。
 ところが、3ラップ目に Langはピットインした。「どうも調子がおかしいんですよ。排気音を聞いてください」。設計主任の Uhlenhautが聞いても首を振るだけだった。「明日調査するが、クルマが何でもなかったら、ただですまないぞ!」監督は怒鳴りつけ、 Langはレースに復帰した。
 Caracciolaはこれをチャンスと捉え、冷静にステアリングを握っていた。6ラップ目には抜かれた Nuvolari(AUTO UNION)を再び捉えて料理した。Nuvolariは Caracciolaを執拗に追いまわし、2人のデッドヒートが繰り広げられた。9ラップ目、Caracciolaは燃料補給でピットイン。プラグの交換もされたので Nuvolariに抜かれただけでなく Müller(AUTO UNION)や Rudolf Hasse(AUTO UNION)にも抜かれてしまった。
 その後、Langがエンジン・トラブルでリタイア、Brauchitschはガソリン漏れでリタイアとなり、MERCEDES-BENZチームで残っているのは Caracciolaだけとなっていた。そしてレースはまだ先が長かった。
 雨が降りつつあったが、やがてそれは土砂降りになっていった。レイン・マイスター Caracciolaの本領発揮だ!
 アザラシの目と称された彼の眼は、視界が遮られる土砂降りの中でもコースを的確に捉えていた。ライバルは次々と脱落していた。Nuvolariはエンジンが火を噴きリタイア、チームメイトの Heinz Brendelがクラッシュ、Villoresi(Maserati)はスピンして燃料タンクを吹き飛ばしていた。危険な雨の中、Caracciolaの指先と足のつま先はクルマの挙動を的確に捉え、冷静に 483馬力のパワーをコントロールしていた。
 ツェッペリンの飛行船がコース上空を回っていた。ラジオによる全国放送の中継機であった。
「Caracciolaがリードしています」アナウンサーが興奮していた。
 土砂降りの中、Caracciolaの操縦は神がかり的なものとなっていった。12ラップ目には Hasseと Müllerを抜き返し、トップに立っていた。この2人との差を広げようと右足に力が入る。もう1度ピットインして燃料補給をしなければならないことがわかっていたからだった。ガスペダルが床まで目一杯踏み込まれ、2段式のコンプレッサーがさく裂しV12エンジンが咆哮を上げる。シルバー・アローは雨を切り裂き、飛び去っていく。15ラップ目には差が39秒となっていた。そして44秒。Neubauer監督が旗を振っていた。次のラップでピットインせよとの合図だった。Caracciolaはピット前の旗のところでピタリとマシンを停めた。メカニックが60リッターの燃料を17秒で給油した。一言も喋る者はいなかった。ピットは静まり返り、誰もが緊張の極みにあった。観客は Müllerの姿を待っていた。Caracciolaがスタートするのが先か、Müllerが通り過ぎるのが先か?
 燃料補給完了。スタート!
 Caracciolaの心臓は高鳴った。V12エンジンに火が入り、甲高い金属音が轟いた。彼は飛び出すと、大好きな Nürburgringのコースを疾走した。今レースでの最速ラップを記録した彼は、2位 Müllerに57.9秒もの差をつけて優勝した。そしてこれが、Caracciola最後のグランプリ・レース優勝となった。
“老練な名手の最も堂々としたレース”と新聞の見出しは書き立てた。彼は38歳となっていた。
 
 リタイアとなった Langのマシンはレース後分解されて、3つ目のシリンダーで完全に腐食したピストン・リングが発見された。彼の感覚は正しかった。
 続く GROßER PREIS DER SCHWEIZ(スイスGP)では雨にも関わらず、Langは優勝した。Caracciolaは3秒遅れで2位となった。2人のデッドヒートは凄まじいものであったが、Caracciolaは自伝にて僅か4行で済ませ、そのことには一言も触れてはいない。

 そして運命の9月2日の朝が訪れた。「戦争だ!」
Caracciola夫妻は、自宅に呼び寄せていた親友であり名ドライバーの Louis Chironを駅まで見送った。彼はモンテカルロで兵役に服さねばならなかった。
空っぽとなった部屋に2人は戻った。
「その戦争でゲルマニアは石の雪崩にあったように完璧に破壊尽くされよう」
16世紀の Maria Laach修道院の予言が的中しようとしていた。