The Benz Tropfenwagen


1910 Etrich Taube
第1次大戦で画期的な単葉機を設計した Edmund Rumpler博士。第1次大戦後の彼は自動車に興味を移した。そして 1921年の Berlin car showにて会場を驚かすクルマを発表した。Rumpler Tropfenwagenである。


W6気筒 OHV 2580cc 36ps

W6気筒(2気筒づつの3バンク)というエンジンもさることながら、それはリア・アクスル前方にギアボックスと共に一体化され設置されるという、史上初のミドシップ・エンジンを採用していたのである。これによってボディーはTropfenwagen(涙滴型自動車)という名前が示すように前面空気抵抗値を大幅に下げることに貢献していた。1979年に測定した値は、なんとCD値 0.28! 現行 Toyota Priusの 0.25に肉薄するという今日の自動車と比較しても立派な数値である。まさに航空機の設計が生かされていた。3段ギアボックスにより、最高速度は 110km/h。また画期的なのはスイング・アクスルを採用したリア・サスペンションである。乗員はアクスルの間に座ることにより素晴らしい乗り心地を味わうことになる。運転席はラウンドしたウィンドウに囲まれ、前方視界は飛躍的に改善された。しかしながら革新的すぎたスタイルは、保守的な消費者(つまりはパリの御金持ち)には受け入れられずに僅か 100台の生産に終わっている。



1923 Benz Tropfenwagen
人々に忘れ去られた Rumpler Tropfenwagenであるが、それに目を付けたのが Benz & Cie、後の MERCEDES-BENZである。当時の技術主任であった Hans Nibelは Rumpler Tropfenwagenのシャシーをほとんどそのまま使用し、葉巻型の画期的なGPマシンを開発した。それが Benz Tropfenwagenである。
エンジンは独自開発の直列6気筒 DOHC 4Valve 90ps/4500rpm エンジンを搭載、ラジエターは運転席背後に備え、リアのドラム・ブレーキはインボードというのも革新的なもの。その高性能なメカニックと750㎏という超軽量ボディによりレースでの活躍が期待された。




Benz Tropfenwagenは 1923年の Monza GPに3台が投入され、Homer, Minoia そして Walbの3人が操縦した。Walbは早々にリタイアとなったが、Homerと Minoiaがそれぞれ4位と5位でフィニッシュしている。結局、当時のタイアの性能の低さもあって、ミドシップの優位性は実証できずに終わることになる。





Benz & Cieは Benz Tropfenwagenの市販タイプも発表したが、あまりにも奇異なデザインのため全く売れず失敗に終わる。300万マルクを開発費として投資したBenz & Cieは経営に大打撃をこうむり Tropfenwagen計画を凍結することとなる。
Porsche博士が AUTO UNIONで行ったのは、これをコピーして技術的に煮詰めたに過ぎない、とも言えるのである。技術を盗むという歴史は繰り返されているのだ。




これはスペインのスロットカーのメーカー BUM SLOTの製品。いまでは絶版で、GHKにて購入。なんでもあるなぁ、トリイさんのお店は。