偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part12 HARD RAIN-Swiss Grand Prix


Swiss Grand Prix near Bern on August 21, 1938. The winner was Rudolf Caracciola (photo).

 1938年のスイスGPは、Coppa Acerboから6日後におこなわれた。Circuit Bremgartenは Bernの郊外の樹齢何百年という樹々に囲まれたすばらしい公園内にあった。コースの全長は 7.2kmでヨーロッパでは最速の高速コースの1つであった。グランド・スタンド手前に短いストレートがあり、バンクなしの高速コーナーがいくつかあった。雨が降るとコース全体が非常に滑りやすくなり、過去に多くのドライバーが罠にはまっていた。
 スターティング・グリッドの第1列左から Caracciola、Lang、Seamanとシルバー・アローが独占していた。はたして、スタート前の3時ごろから小雨が降り始めていた。Caracciolaたちはクルマに乗り込むと、ヘルメットにバイザーをつけ、その下にレース用のゴーグルをつけた。ゴーグルはスタートの数秒前にかけた。あまり早くかけると曇ってしまうのだ。


Swiss Grand Prix near Bern, August 21, 1938. The Mercedes-Benz W 154 racing cars took the lead immediately after the start in heavy rain and drove towards a triple victory. The winner was Rudolf Caracciola (on the right) .

 3時にフラッグが振られて、レースがスタートした。Seamanが一番右から飛び出してトップに立った。Auto Unionの Stuckがその背後につき、Caracciolaがそれに続いた。MERCEDES-BENZの1台だけがスタートで取り残された。Hermann Langだ。彼はスロットルをほんの僅か開きすぎ、リア・タイアを狂ったように空転させていた。彼は雨天が苦手だった。晴天なら世界一スタートが上手いドライバーなのだが、雨が一滴でも振ると意気地のないドライバーに成り下がった。苦手なウェット路面で、彼は自分を追い越してスタートしたライバルを追い求めて走り出した。怒りが感情を支配し、冷静な操縦ができない状況になっていた。怒りの感情を露わにしてしまってはレースに勝つことはできない。そのようなドライバーはアクセルもブレーキも乱暴な操作となる。ましてやエンジンには余計な負担がかかるのだ。
 案の定、彼のマシンの調子が悪くなるのには数ラップもかからなかった。エンジンがミスファイアし始め、プラグがおかしくなり、最後には彼のゴーグルに飛び石が当たってしまった。ピットインした彼は医師により、目に刺さった細かいガラスの破片を取り除かれた。
  Caracciolaは4ラップ目に Stuckを抜き去り、2位に浮上した。Seamanは雨の中、見事な走りでトップにいた。しかし、狡猾にして、老巧な Caracciolaは、容赦なく若いチームメイトとの差をジリジリと詰め寄っていった。ラップ毎の差は数メートルであったが、それはマイスターの熟練と冷静さで狭められていった。彼によるコーナーでのライン取りは、まるで定規で線でも引いてあるかのように正確であった。8ラップ目、雨がひどくなってきた……土砂降りであった。 トップを走る Seamanが跳ね上げる水しぶきと泥跳ねが、Caracciolaのウィンド・シールドにこびりつき、前方を見るには顔を横に出さねばならず、そのたびに顔やゴーグルに泥が跳ねるのである。
「もうたくさんだ。気をつけろよ“Dick”。こんどは俺がトップに出るからな」
そう思うやいなや、2台のマシンの間は光さえ漏れぬほどであったが、彼は決定的な瞬間を捉え、滑りやすい砂利の上で泥と水の中で Seamanを抜き去った。追いかけるのは Seamanの番となった。Caracciolaがスピードをあげると、タイアは高く水しぶきをあげた。それは高い壁となって Seamanに襲い掛かった。30ラップ、40ラップ、50ラップと Seamanは果敢にくいついていたが次第に後退し、Caracciolaのミラーには映らなくなっていた。
 雨は降り続け、エンジンの熱のためにコクピットは蒸し風呂の態を成していた。雨のために森林の土壌が緩み、コースに水が流れ込んだ。コース上に川ができあがった。Caracciolaは路面のどんな変化も見過ごさないように目を光らせた。滑りやすい路面では車体の感覚を正しく掴む必要がある。予測できない挙動を察知し、静かで穏やかな動作でそれを制御する必要がある。これには全身の研ぎ澄まされた感覚が必要なのであった。
 Caracciolaが一度トップに立つと、誰も彼をその座から引きずり下ろすことはできなかった。しかし、彼は Seamanに大差をつけることはできなかった。ゴールに飛び込んだとき、 Seamanとの差は 26秒しかなかった。Brauchitschが3位に入り、MERCEDES-BENZは表彰台を独占した。
 またしても Caracciolaは雨に強いドライバーという評価を証明した。この隠れた秘密のひとつに、妻をして「アザラシの目」と称した驚くべき視力があった。他のドライバーが水しぶきで視界が遮られる状況でも、彼の眼は鮮明に見えていた。ある専門医は、彼の眼の構造に何か関係があり、水晶体が過度の光量を受けると透明体は無感覚となり、このため雨による影響を受けないのだと説明しているが、真相は不明である。真偽はどうであれ、雨のレースは Caracciolaに幾分か有利であるということは事実であった。


Swiss Grand Prix, August 21, 1938. From left: Rudolf Uhlenhaut, Manfrd von Brauchitsch, Rudolf Caracciola, John Richard Beattie Seaman, director Max Sailer and racing director Alfred Neubauer.