偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part11 Coppa Acerbo

 Bernd Rosemeyerはベルリンで国葬の栄誉に浴した。Caracciolaやレーシング・ドライバー仲間はレーシングスーツを着て、彼が永遠に眠る場所まで列を成した。祭壇にはナチス・ドイツの親衛隊(SS)に入隊していた Rosemeyer所有の髑髏バッジがつけられたSSの帽子が飾られていた。

 1938年シーズンは南フランスの Pau Grand Prixから始まった。曲がりくねったコースを 100周するレースは、1km/Lという凄まじい燃費の MERCEDES-BENZ W154には不利なレースだった。非過給の Delahayeに乗る René Dreyfusは燃料補給の必要が無く、スタートからトップを走り、そのままゴールした。


 Tripoli Grand Prix、暑さと息づまるような細かい黄色い砂がコースに吹き荒れるレース。最初の1周、Caracciolaは黄灰色の埃の中を目を閉じて突っ走っているように感じた。
 砂漠の方から砂嵐ギブリが吹き、タイアは路面に積もった砂埃を巻き上げて行った。砂は歯の間にも入り、口は乾ききった。小さなウィンド・シールドはじきにサンドペーパーで擦ったようになってしまった。このレースは Hermann Langが優勝、Brauchitschが2位、Caracciolaが3位と、MERCEDES-BENZが1位から3位を独占した。このレースでは死亡事故が2件も起きてしまい、2人が死亡した。

 7月24日のドイツGPは MERCEDES-BENZの若いイギリス人、"Dick" Seamanが優勝した。 Caracciolaは前日に食べた魚による腹痛で、クルマをHermann Langに譲った。彼は2位に入った。

 イタリアはペスカーラで開催された Coppa Acerbo。2本の長いストレートと山岳路の変化に富んだアドリア海に面したコースで、MERCEDES-BENZに有利な長いストレートのコースに2か所もシケインを設けて、イタリア人観客の動員を呼び起こしていた。シケインの手前では、ほとんど停止まで減速しなければならず、ブレーキにもタイアにも過酷なコースとなっていた
 レース1分前、エンジンがかけられ、爆音のシンフォニーが響き渡った。MERCEDES-BENZは一番甲高い音で空気を引き裂いていた。ドライバーは柔らかい蝋の耳栓をしていたが、レースが終わっても聴力が元に戻るまで数時間がかかることがしばしばだった。スタートは一番緊張する瞬間である。Nuvolariは競走馬のように感情を抑えるのに苦労しているようだったし、Brauchitschは唇をかみしめて非常に緊張しているようだった。Langは見たところ全く冷静にいるようだった。

 スタート! Brauchitschが素晴らしいロケット・スタートでトップに躍り出た。Caracciolaは早いうちに Nuvolariを抜き去り、Brauchitschの後ろについた。3周もの間、彼とのデッドヒートが続いた。そうするうちに Brauchitschのマシンから煙が出てきた。彼はスピードを落とし、Caracciolaに手で追い越せの合図をした。今度は Caracciolaが先頭に立った。その後を Langが接近して追う。Caracciolaのエンジンは快調に唸り、11分というラップタイムを出した。平均速度は 140.640km/h、ストレートの速度は 279.623km/hでていた。Brauchitschがリタイアとなると、Maserati 8CTFに乗る Trossi伯爵がすこしづつ順位を上げてきた。ピットのサインによれば、彼は Giuseppe Farinaを抜き、Langに次いで3位になっていた。彼の Maseratiはストレートで恐ろしく速く、差を広げておく必要があった。そうしなければ、燃料補給でピットインした時に抜かれてしまう恐れがあった。ところが Trossi伯爵はフェンスに衝突してしまった。彼は胸の痛みを堪えながらピットまで走らせ、Luigi Villoresiと交代した。彼のクルマはトラブルでダメになっていたのだ。Trossi伯爵と交代すると Villoresiの Maseratiは猛烈な勢いでコースに復帰した。彼のマシンは観客が度肝を抜く速さで疾走し、Caracciolaのラップ記録より3秒も速いタイムを出した。スタンドでは歓声が沸き起こった。しかし、それも束の間、 Maseratiのエンジンは高回転の負担に耐え切れずリタイアとなってしまう。


Villoresi's Maserati 8CTF

 Caracciolaは Villoresiの猛追をかわすために、定評ある模範的なコーナーリング・スタイルを諦め、テール・スライドしながら狂ったように走り抜けた。これによりストレートではガスペダルを気持ち緩め、エンジンの負担を軽減させることができた。


  Nuvolariもエンジンの故障でリタイア。後は Langだけだったが、彼は最初のシケインでクラッシュ、危うく火災に巻き込まれるところを脱出していた。サインによれば2位は AUTO UNIONの Müllerで Caracciolaよりも2km後方だった。
 ドイツ人ドライバー唯一の Caracciolaは優勝した。彼は驚くべきことにレース終了後、優勝祝賀晩餐会に出ようとしていた妻をなだめ、徹夜で運転しスイスの自宅へ帰った。1週間後のスイスGPに備えるため、早く家に帰って足を休めたかったのである。