偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part5


Start of the International Eifel race on the Nurburgring on June 16, 1935. Number 7: Manfred von Brauchitsch. Number 5: Rudolf Caracciola, the winner. Number 6: Luigi Fagioli, who finished in fourth place.

 1935年、Caracciolaを襲った2つの不幸による打撃は和らいでいるようだった。彼は冬のオフシーズンをパリで過ごしていた。Hoffman夫人が経営するアパルトメンである。Charly亡き後、彼女は「偉大なる治療師」として彼に付き添っていた。
 彼はトリポリGPに優勝し、恒例の Eifelrennenにも優勝した。フランスGPだけで、彼は 100,000フラン*1 もの優勝賞金を稼いだ。スペインGPでは2位、ドイツGPでは3位でフィニッシュし、彼はヨーロッパとドイツ両方のチャンピオンとなった。European Championship Grands Prixの5戦中、MERCEDES-BENZは4つを制覇したが、そのうち3つはCarracciolaによる勝利だった。右足の障害を克服して達成したこの偉業は、自動車レースの世界はもちろん、国際的なスポーツ全体でも類まれなものである。
W25は排気量を 3.9リッターに拡大 430psになり、さらに ZFが開発したリミテッド・スリップ・デフが装着され、大馬力によるホイール・スピンを減少させている。
 
 この年、天才ドライバー Bernd Rosemeyerが AUTO UNIONでデビュー、Caracciolaの地位を脅かすことになる。6月16日、 Nürburgringで行われた Eifelrennen、アイフェル高原に吹く冷たい風にもかかわらず 25万人もの観客がキャンプしてまで詰めかけた。そこではお金を払うに値するレースが展開していた。スタートからトップを走り続けているのは、お馴染みの Caracciolaではなく、Manfred von Brauchitsch、Louis Chiron、そして Tazio Nuvolariでもなかった。先頭を疾走していたのは、ほとんど無名に近い Bernd Rosemeyerだった。彼のチームメイトさえ優勝候補とは考えもしなった。Caracciolaは何周もの間、 Rosemeyerの走りを観察できる距離に近づき、背後にピッタリとついていた。彼は Rosemeyerがいつもミスをする場所がコース中に1ヵ所だけあり、そこはゴールの 200m手前であることを突き止めていた!
最終ラップで場内スピーカーから流れるアナウンスに皆が注目した。
「Adenauer Forst地点、Rosemeyerは Caracciolaの 150m前です」
「Kesselchen地点、Caracciolaは依然として Rosemeyerより 100m遅れています」
「Karussell地点、Rosemeyerはまだ 30m、リードしております」
 AUTO UNIONのピットでは、既に勝利を確信し、喜びに沸いていた。
 しかし、最後のコーナーで大逆転が起こる。
 Caracciolaは Rosemeyerより約 20m遅れて、そのコーナーを通過する際、彼は4速ギアを Rosemeyerよりも数秒長く入れたままにしておいた、 Rosemeyerは既に5速にシフトアップしていた。これが彼の犯すただ一か所のミスであった。Caracciolaがガス・ペダルを床いっぱいに踏み込むと、コンプレッサーの出す象の鳴き声のようなつんざく音と共に W25は躍り出て、ホームストレートに先頭を切って飛び込み優勝したのである。
 観客は驚喜した。冷静に勝利を掴んだ Caracciolaと健闘した無名の若者に喝采を送ったのである。


Double victory at the Grand Prix of Barcelona, Montjuich-Park, June 30, 1935. Rudolf Caracciola (start number 2) in a Mercedes-Benz formula racing car W 25. Caracciola finished in second place behind the winner Luigi Fagioli.


Swiss Grand Prix, August 25, 1935. Three Mercedes-Benz formula racing cars (W 25) at the pit stop: Hermann Lang with the start number 42, Rudolf Caracciola (who was to win the race) with the start number 10 and Manfrd von Brauchitsch with the start number 8.

*1:当時の邦貨で37,000円、現在の価値で8,000万円ぐらい。