French Blue Meeting 2011 RENAULT 4L 50ANS Club Renault 4 du Japon 20ans


今年 RENAULT 4は生誕50周年、CLUB RENAULT 4 JAPONは発足20周年を迎えた。
ワンメイクのクラブが20年も続くというのは大変なことで(大抵はクルマの老朽化で手放し自然消滅する)、クラブ関係者に敬意を表したい。ちなみに当無礼ログにコメントを頂いているミゾロギ画伯も会員であり、RENAULT 4しかクルマは所有したことがないらしい。
http://club-renault4.jp/



 4CVの後継車として61年のフランクフルト・ショーにデビューした 4Lは、大成功したCITROEN 2CVを徹底的に研究し、2CVに共通するフランス的な合理性に貫かれた簡素な大衆車である。当時、日本で発売されていた軽自動車はメッキものでゴテゴテとなっていたことを思うと、この簡素さはフランスに於いて自動車がすでに大衆のものであったことを物語る。
 最大の特徴は 4CV、Dauphineと戦後の小型車をリア・エンジンでまとめてきた RENAULTが、この車に到ってFFに転向したことであろう。RENAULTは 4の基本設計を多目的ワゴンとしていた。そのためRRでは荷室に限界があり、必然的にFFが採用さることとなったのである。エンジンには2種があり、根本的にはそれぞれ 4CVと Dauphineの水冷直列4気筒OHVエンジン(747cc 32ps/4700rpm 最高速度 110km/h)であるが、後部からそっくり前に移され前輪を駆動する。

 ボディは 4CV、Dauphineとは根本的に異り、強固なプラットフォームの上にシンプルなプレス製パネルを組立てた簡素なモノコック構造である。
 サスペンションは前が縦置トーション・バーとウィッシュボーンの独立で、後は横置トーション・バーとトレーリング・アームによる独立である。面白いのは後輪で、片側のホイールを吊るトーション・バーはほぼボディの巾の長さがあり、食い違う2本は前後にずれている。その上トレーリング・アームの長さは同一だから右の後輪の方が40mmほど後にあり、ホイールベースは左右が異っている。これはフロアをフラットにするための妥協策。初期型のシートは、2CVに似たハンモック・シートを採用していた。
 興味深いのは、積極的に整備の簡素化を図っていることで、エンジン・オイルの交換は当時としては長い 5000km毎に行えばよく、ラジエターは密封されている。更にシャシーのグリース・アップ・ポイントはほとんど全廃されており、ガソリンさえ入れれば車の寿命まで走り続けるわけで、大衆車の有り方というものを変えてしまうインパクトがあった。
 製造は驚くべきことに1992年まで続けられ、総生産台数は 8,135,424台にもなった。


シフトノブは 2CVを模したようで、ダッシュボードから伸びている。デビュー時はノン・シンクロの3段ギアボックスであった。


これは 1965年に登場した最上級グレードの Parisienne。安物の大衆車でも貧乏臭くないのは流石。有名なファッション雑誌“ELLE”とのコラボレーションで生まれた。


1968年以降、ギアボックスは4段フルシンクロとなった。





1968-1970 4 PLEIN AIR
フランス語で「空気がいっぱい」という名のビーチ・カー。リゾート地に別荘を持つ富裕層向けに少数が生産されたカタログ・モデル。シートは濡れた水着のままでOKのビニール・レザーとなっている。製造は SINPAR社が行っていた。
オーナー氏は土砂降りの中、自走してきたとのこと。FBMはそうまでしても行きたいと思わせるイベントなのである。