French Blue Meeting 2011 RENÉ BONNET DJET Ⅴ


RENÉ BONNET DJET Ⅴ
直列4気筒 OHV 1108cc 70ps/6000rpm 最高速度 175km/h

Lamborghini Miuraに先駆けること3年、市販車として史上初のミドシップはこのクルマである。RENÉ BONNET DJETはルネ・ボネ・ジェットと読む。

École polytechnique(あのカルロス・ゴーンも卒業生)を卒業したばかりのエリート Charles Deutschと、戦前に CITROENの代理店を経営していた René Bonnetがレーシング・コンストラクターとして始めた DBは、戦後 PANHARDの空冷水平対向2気筒エンジンを搭載し空力ボディーに身を包んだFFレーサーにて、果敢にもル・マン24に13年もの長きにわたり出場。その挑戦は、まさにフランスならではの英知にあふれたものであった。
 1962年、技術的な方向の見解の相違から2人は決別、それぞれに独立することとなる。 PANHARDは既に CITROEN傘下となっていたため、その空冷エンジンの供給が絶たれることは時間の問題であった。そこに手を差し伸べたのが国営企業 RENAULTであった。ドゴール大統領が栄光のフランスの再興を願い考えたのがル・マンでの国威高揚である。 RENAULTはそのパートナーとして ALPINEと René Bonnetをサポートすることを決定したのだった。

 1963年、 René Bonnetは René Bonnet Aérodjet LM6をル・マン24に投入する。Gordiniチューンの RENAULTエンジンをミドシップに搭載するという、フランス初の本格的ミドシップ・マシーンはこうして誕生した。レースの結果は、スタート後の僅か30分後に大排気量車による追い越し時の風圧で横転クラッシュしリタイアとなっている。

 RENÉ BONNET DJETは、それをデチューンしたロード・スポーツである。
 フレームは太いチューブのバックボーン、サスペンションは4輪Wウィッシュボーン、これにFRP製のボディーが架装された。ギアボックスは4速。ブレーキは4輪ディスクと先進的なものであった。



フロントにはラジエター、燃料タンクとスペア・タイアが備わる。
横開きというのがフランスだなぁ。


コクピットには犬が鎮座しておりました。分厚いクラッシュパッドに注意。メーター類は RENAULTからの流用。



エンジン後方にもラゲッジ・スペースがある。




色が剥げたエンブレムだが、本来ならチェッカー・フラッグの下はフランス三色旗。


René Bonnetの挑戦は1965年、予期せぬ終焉を迎える。RENAULTによる支援が打ち切られたのだ。国営企業は ALPINEにのみサポートを絞ることを決定、それにより経営破たんした René Bonnetは Matraによって吸収されることとなった。
  Matraは René Bonnetをジャンプ台として自動車産業に進出、ル・マンに挑戦することとなる。