Goodwood Festival of Speed 2011 JAGUAR'S LE MANS CHALLENGERS Part5


1961 JAGUAR E-TYPE
 1961年3月、ジュネーブ・ショーにてセンセーショナルなデビューを果たした E-TYPE。この個体は、その1か月後に行われた Oulton Park でのレースで Equipe Endeavour team, ドライバー Graham Hill により優勝したクルマである。もちろん JAGUAR E-TYPE 初の勝利であった。



1963 JAGUAR E-TYPE LIGHTWEIGHT
 XK120 から実に13年ぶりのスポーツカーとして、満を持して発売された JAGUAR E-TYPE であったが、ル・マンでは相変わらず FERRARI の後塵を浴びていた。特に 250 GTO の戦闘力は、ずば抜けて高いものであった。1962年のル・マンでは Briggs Cunningham が4位となったが、それも2台の 250 GTO の次点だったのである。かつて C-TYPE/D-TYPE を送り出した William Heynes をはじめとする技術陣がそれを黙って見過ごすわけにはいかなかった。彼らは E-TYPE をベースとした競技用車両の制作に取り掛かったのである。
 翌1963年、JAGUAR は所謂 LIGHTWEIGHT を繰り出す。ライバルよりも安く高性能車を送り出すという JAGUAR の社是に従い E-TYPE はスチールボディを採用していたが、この E-TYPE LIGHTWEIGHT はモノコックも含めてボディもアルミ化されていた。これはジャガー・ディーラーの John Coombs が所有しレースに参加していた、ワイドアングルのヘッドとトリプル・ウェーバーで強化された特製の E-TYPE レース仕様から発展したものである。
 当初は通常より薄い鋼板を使用し、ファストバックのクーペが考えられたが、その後、アルミボディーのハードトップ付きロードスターに変更されることとなった。車重は最終的に 920㎏となり、200㎏以上も軽量化された。また、アルミ製ブロックとなった XKエンジンは 300psを絞り出し、クロスした5段のギアボックスが備えられ、机上の計算では 250 GTO を凌駕するマシンが完成したのだ。


1963 Sebring 12 Hour.The #20 E-Type was entered by Briggs Cunningham and driven by legendary drivers Bruce McLaren and Walt Hansgen

 しかし、合計12台の LIGHTWEIGHT が制作されレースに投入されたが、たいした戦績は残せなかった。1963年 Sebring 12時間にて7位と8位となったのが唯一の救いかもしれない。4リッターのGTクラスで1位2位となったのだが、3台の Ferrari 250 GTO に打ち破れたのである。しかも彼らは3リッタークラスのGTだったのだ。グッドウッドの個体は7位となったクルマである。
 ル・マンでは3台の E-Type Lightweight が Cunningham チームによって投入された。今度は良い結果が出せるだろうと期待された。高速レースのル・マンは排気量の大きいマシンに有利であるからだ。しかしながら3台のうち2台が序盤の40ラップも出来ないうちにトラブルでリタイア、残り1台は9位でフィニッシュ、AC Cobra Hardtop に続き4リッタークラスで2位となった。しかし3リッターにすぎない Ferrari 250 GTO は E-Type Lightweight よりも 29〜56周も多く周回を重ね、2位4位6位を占めることとなったのである。