Goodwood Festival of Speed 2011 JAGUAR'S LE MANS CHALLENGERS Part6



1963 JAGUAR E-TYPE‘LOWDRAG’
 1963年のル・マンでの雪辱を果たすべく、E-Type Lightweight をベースに元 Bristol Aeroplane 社の空力専門技術者 Malcolm Sayer によってボディ・スタイリングがデザインされた。Sayer は50年代のル・マンで輝かしい戦績を残した JAGUAR C-TYPE/D-TYPE の設計者であり、E-TYPEにも関与していた。見るからに空気抵抗の少ない滑らかで美しいボディ・デザインは、明らかに因縁のライバル FERRARI 250 GTO のそれを凌駕するはずであった。たまたまジャガー・ディーラーの John Coombs が 250 GTO を所有していたため、英国自動車工業研究所の実車風洞に持ち込み、その空力特性を‘LOWDRAG’と比較検討することが出来たのである。結果は、Sayer の‘LOWDRAG’がベストで 250 GTO よりも1割ほど空気抵抗値は少なかったのである。しかし走行テストをしてわかったことは、JUGAR の技術者 Derrick White 曰く「軽い車重と、非常に確実でクイックなステアリング、ペダル配置の良さ、ポルシェ・シンクロにより E-Type よりも確実なギアボックスと、ロールが少なく、リジッド・アクスルにもかかわらず快適な乗り心地」エンジン出力を除く、すべてに於いて 250 GTO の性能は高かったのである*1
 「12気筒を負かすには12気筒が必要だ」「JAGUAR は既存のクルマをもう一度ル・マンに出場させたことの愚かさを悟るべきだ」英国自動車ジャーナリストや技術者の酷評があるなか、1964年のル・マンにプライベート・チームで‘LOWDRAG’が2台エントリーした。結果は2台ともリタイアと言う惨敗であった。Ferrari 250 GTO はこの年も快調で、5位6位7位でフィニッシュ、3リッターGTクラスの1位2位3位を独占した。
 この屈辱的なレース結果により、JAGUARル・マンに賭ける情熱は、急速に萎み消滅することになる。もはやル・マンの観衆は、ワークス不参加の JAGUAR なんぞ眼中になかった。この年から GT40 で参戦した FORD と FERRARI の一騎打ちに注目したのである。
 グッドウッドに参加したこの個体は、1964年のル・マンに挑戦した Peter Sargent/Peter Lumsden組のマシンで、80週目にギアボックスの故障でリタイアしたクルマ。



1964 JAGUAR E-TYPE LIGHTWEIGHT‘LOWDRAG’
 西ドイツの JAGUAR インポーター Peter Lindner によって1964年ル・マンに参戦したマシン。ドイツ・チームなのでジャーマン・シルバーなのだ。149周でヘッドガスケットが吹き飛び、リタイアとなっている。その後、Monthery サーキットにおける事故でマーシャル3人を巻き込んだ死亡事故により Lindner 本人は亡くなっている。最近までかかってレストアされた個体。なんだか幽霊が出そうな雰囲気? 
レベル・モノグラムで1/32スロットカーも出ている、有名な個体。









*1:エンジン出力は約4馬力 E-TYPEが優れていたが、0-400mは0.2秒 GTOが速く、最高速度も 25㎞/h(237.5㎞/h)も GTOが速かった。