Goodwood Festival of Speed 2011 FRONT-ENGINED GRAND PRIX CARS






1951 ALFA ROMEO TIPO 159 "ALFETTA"
直列8気筒 DOHC 1479cc スーパーチャージャー 425ps/9000rpm
 戦前のヴォアチュレット(小型クラス)として Gioacchino Colombo に率いられた技術陣によって設計された Typo 158 を戦後の主任技術者 Orazio Satta によって2段過給に改造されたGPマシン。
 1950年に設立されたFIAによって世界選手権が設定された年、TIPO 158 は驚くべきことに全戦全勝の圧倒的強さを誇り、見事、Nino Farina が初代世界チャンピオンの栄誉に輝いたのである。しかし、この年すでに新興のフェラーリは無過給自然吸気の4.5リッターGPカーを出走させており、戦前派のアルファ・ロメオは時代遅れのものになりつつあった。
 翌年、TIPO 158 は425馬力にパワーアップされ、その代償としての燃費低下に備え、運転席後部の燃料タンクの大型化のため後輪をスウィング・アーム形式からド・ディオン型式に変更された。それが TIPO 159 である。結果として燃費が1㎞/ℓという大食らいになり、ピット回数が増えて勝利が遠のくという矛盾を抱えてしまっていた。フェラーリの猛追を受けながらも、かろうじて最終戦のスペインGPにて Juan Manuel Fangio が勝利することにより、2年連続世界チャンピオンGPカーとなり、アルファ・ロメオ最後のチャンピオンF1マシンとして末長く人々の記憶に残るものとなった。
 Museo Storico Alfa Romeo からの参加。





1953 BRM V16 P30 MK2
V16気筒 DOHC 2Valve 1487cc スーパーチャージャー 525ps/12000rpm(ただしベンチテストの結果、実際は430ps程度)
 BRM(British Racing Motors)は英国の自動車メーカーの一部が共同してレース・エンジンを開発しようという合意の元に設立された。戦前、小型ヴォアチュレットのレーシング・エンジンを製造していたERAから Peter Berthon を得て、1.5/4.5リッター・フォーミュラーに搭載するエンジンの開発をはじめていた。それが完成しグランプリの舞台に登場したのが1950年。1.5リッターのV16気筒は超高回転型となり、12000rpmという当時の常識を相当に上回る意欲的なものであった。しかし、最も特徴的だったのはロールスロイス製の遠心式スーパーチャージャーを搭載していることであった。設計上は過給圧力3.0気圧以上を目指し、エンジン出力が600馬力以上になるはずであった。しかし、実際には600馬力を発生することはなく、エンジン・テスト・ベンチ上での525馬力が最高であった。
 実際、グランプリ・レースでの戦績は無残なもので、1950〜1952年を通じて完走したのは51年の英国GPただ1度だけだったのである。
 これは、採用された遠心式スーパーチャージャーの特性が自体が、激しい加減速やアイドリングもない航空機エンジンに適切なものだったからである(レーシング・エンジンには容積型のルーツ“繭”式が適切とされていた)。エンジンのパワーバンドがほぼ最大回転数の付近のみという、コントロールが非常に難しいマシンとなってしまったのだ。
 このマーク2では、ディスク・ブレーキの採用、ド・ディオン方式のリア・アクスル、ラックアンドピニオン方式のステアリングなど改良が行なわれたが、勝利をもたらすことはなく、消え去っていった。
 The Donington collection からの参加。




1954 LANCIA D50
V8気筒 DOHC 2Valve 2489cc 260ps/8200rpm
 偉大なる設計者 Vittrio Jano によるランチア最後のGPマシン。設計のコンセプトは“小さく、短く、低く、軽い”GPマシンを造ることであった。シャシーは鋼管スペースフレームで、エンジン自体をシャシーの強度メンバーとして積極的に使用、燃料タンクはサイド・ポンツーンに搭載するなど、先進的な設計思想を持っていた。
1954年にランチアが経営難でF1GPから撤退、フィアットのお膳立てで引き継いだフェラーリはエンジンのパワーアップと燃料タンクを尾部タンクに変更する改良を行い、1956年に見事、ファンジオの4度目の世界選手権を勝ち取ることになる。