JAGUAR XK120 1949〜1954


 旧植民地だったインド人に買収された現在のジャガーに文句がある英国好きの御人もいるだろうが、そもそもジャガーは高級車として生まれたブランドではなかった。いつの時代も“良いものを安く”というのがジャガーの本来の伝統であった。だから現在の1千万〜という値付けには少々疑問が残る。たとえば、この XK120 は現在の貨幣価値でいえば、ブガッティ・ヴェイロンの性能がBMW5シリーズの価格で手に入ったと表現すれば分かりやすいだろう。最高速度200㎞/hという当時世界一速いスポーツカーが中流階級の人の手に届く価格で送り出された。それが XK120 なのだ。ちなみに同性能を持つV12エンジンを搭載したフェラーリは、その4倍の価格をぶら下げていた。 XK120 は驚くべき安価な高性能スポーツカーだったのである。

 1948年秋のロンドン・ショーに華々しくデビューした XK120 ロードスターは最初から爆発的人気を呼んだ。創業者ライオンズ自身のデザインになる、細く、低く、スムーズなボティから、クルマ好きを魅了する、輝くばかりのDOHC直列6気筒エンジンまで、XK120 は従来のジャガーとは全く隔絶した設計であった。XK120 の抜群の性能については1949年5月30日、全くストックの1 台のロードスターが、ベルギー、Jabbeke 郊外の公道で、132.6 mph(約212.16㎞/h)という驚くべき公認速度記録を樹立した事実だけで充分であろう。以後、すべてのXK120 ロードスターダッシュにはこの記録を出した車と同型である事を証するプレートが誇らかに付けられた。


“The Fastest production sports car in the world”の文字が誇らしい。

 エンジンは3442㏄、圧縮比8.0、160ps/5000rpm、シャシーは当時としては非常に剛性の高いボックス断面フレームで、フロントはトーションバーとウィッシュボーン、リアは普通のリーフとリジッドアクスルであった。標準のファイナル3.64の最高速度は125mph(200㎞/h)、加速は60mph(96㎞/h)10 秒、100mph(160㎞/h)27.3 秒で、価格4000ドルのスポーツカーとしては抜群の性能であるのみならず、倍の価格のモノでもこれに敵うものは少かった。XK120 は最初ロードスターのみだったが、1951年3月にフィクストヘッドクーペ、1953年4月にはドロップヘッドが現れて、バリエーションを広げている。




ニンコがモデル化したのは有名なレーシングチーム ECURIE ECOSSE の所属。ウィンド・スクリーン基部にマーキングがある。
走りはニンコ・クラシック標準のスムーズなもの。タイアは細いがレベル・モノグラムと違いグリップが良いのでシリコンタイアに換装する必要はない。初心者にもお薦めの1台だ。