The World's Worst Cars Part5


DeLorean DMC-12(1981-1982)
ジウジアーロのデザインによる失敗作。とても彼の作品とは思えない凡庸な出来だ。最低地上高が異様に高く、向こう側が透けて見えてしまうほど。これだけでもスポーツカーとは言えない。フロントマスクは当時の三菱製セダンのよう。おまけに肝心のエンジンは、丈夫だけが自慢のルノーV6エンジン、パワーが無く重いだけだった。シャシー開発はロータスが担当したようだが、ハンドリングも悪く、パットしない走りだったらしい。
それでも、一部の人にとっては素晴らしいデザインのクルマというのだから……。
http://www.jigowatt.org/dmc/top.html



FRPボディに無塗装のステンレスパネルを被せたボディは軽く触っただけでも指紋が残り、なかなか消えなかった。自慢のガルウィングも作りが悪く開かなくなるトラブルが多発。そのような品質の低さに起因する大量のキャンセルが発生し、初年度で会社が傾く原因ともなった。
DeLorean社を立ち上げたジョン・ザッカリー・デロリアンは元GMの副社長であり、わざわざこんな駄馬を作るために6年もの歳月をかけ、その地位を投げ捨てた大馬鹿者だ。
北アイルランドで製造することを条件に英国政府を騙して8000万ポンドを引っぱり、挙句の果てにデロリアンが麻薬で逮捕され、会社は82年に倒産、英国民の血税は無駄になったというお話。



ISO FIDIA(1967-1974)
もともとは工業用冷蔵設備のメーカーで、日本なら日立が自動車業界に乗り込んだようだったISO。1962年に高級スポーツカーに名乗りをあげる。
1967年に搭乗した“FIDIA”。エンジンは初期はシボレー製、後にフォード製V8エンジンを搭載、ギア在籍時のジウジアーロによるデザインは悪くは無いが、問題は予想外に掛かった開発費だった。そのため価格はロールスロイスよりも高額なものに。
その反面、作りは酷く、サビにも弱かった。最終的にたった200台しか売れなかったというのも納得できる。
ちなみにジョン・レノンも購入していたとか。成金は金の使い道知らないねぇ(苦笑)。



LANCIA BETA Berlina(1972-1984)
良く言えば、古いフランス車の少し格好の悪い雰囲気を醸し出したデザイン。日本のイタリア車好きには踏み絵のようなクルマ(Berlinaが日本に現存しているのだろうか?)と言うのは言い過ぎだろうか。ちなみに自分には厳しいかも。
現在、イギリスではランチアが売られていないが、そのきっかけとなったクルマと言われている。
そもそもランチアはいつの時代も先進的な技術を惜しげもなく注ぎ込み、コストを度外視した品質が自慢のメーカーであった。しかし、フィアット・グループとなったランチアはその高コスト体質を指摘され、安い鋼板を使用することにした。そのため、ありとあらゆる場所がサビに侵されるボロボロのクルマになり、酷いものは納車時に既にサビている始末。
イギリスの大衆紙 The Daily Mirror が大量の LANCIA BETA が納車前に溶接し直されていると報じ、売り上げはガタ落ちとなった。
あるイギリスのディーラーは大量の在庫車の莫大な維持費を知るや、大量廃車にしたとのことだ。




LANCIA GAMMA(1976-1984)
これは素晴らしい。だれが見ても華麗なデザインとゴージャスな内装、見事なハンドリングと、ヒット作間違えなしのはずだったのだが……。
信頼性が低く、サビに弱いのが致命的で、市場では奮わず、ランチアは莫大な損害を被った。
特に水平対向4気筒ボクサー・エンジンが最悪で、2.5リッターの排気量は4気筒には大きすぎ、作りも酷いものだった。カムベルトが外れやすく(後のイタリア車に多かったベルト切れではない)、そのせいでヘッドとバルブが壊れるという欠陥エンジンだった。もちろん修理費は高くつき、ランチアの信頼性は地に落ちるのだった。



Morgan Plus 4 Plus(1962-1964)
自動車史上、最も意味のないクルマの1台。グラスファイバー製ボディに、シャシーは相変わらず木骨。エンジンはトライアンフ製水冷直列4気筒2138ccを搭載、最高速度169㎞/h。ハンドリングは悪く、乗り心地は最悪、室内は狭い、とにかく酷いクルマだが、問題はその価格にあった。
当時、一世を風靡したジャガーEタイプの2倍の値段が付けられていたのだから恐れ入る。3年間で売れたのはたった26台。26人も買った人がいたという事実の方が驚きか(苦笑)。