塩路一郎は、ある意味、社長の川又よりも日産では輝かしい存在であった。彼は労働争議で悪戦苦闘した日産の労働組合を一本化して、強力な統率のもとに、労使協調を実現化した最大の功労者であったからだ。塩路が自動車労連の会長として、豪華な自動車労連ビ…
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