Nissan CEDRIC

 50年前の日本タクシー業界では、中型車はトヨタ、小型車では日産という住み分けが長い間続いていたが、1960年の3月に、日産がセドリック(アメリカの有名な小説『小公子』の主人公セドリックの名にちなんでつけられた)を発表し、ただちに生産を開始したので、このバランスは崩れた。セドリックの狙いは、それまでの自動車税制の規定である小型乗用車でありながら、欧米の6気筒エンジンの大型車に劣らない見かけや乗り心地を得ようというものであった。タクシーであれば当時の初乗り80円で、ちょっとデラックスな気分(その頃、デラックスという言葉が流行っていた。今では勿論死語である)を味わい、自家用車であれば如何にも豪華に見えて、実は値段が安いというところを狙ったようだ。

 室内の雰囲気が、当時の高級というものを感じさせる。あの頃の1クラス上の住宅の居間の雰囲気というところだろうか。公団住宅の4畳半と言う雰囲気はない。時計やラジオもあらかじめ室内の雰囲気に合わせてデザインされていた。

 セドリックに搭載された水冷直列4気筒 1488ccエンジンは、当時の国産車中でも最高の性能を発揮していた。最高出力は 71ps/5000rpm、最大トルクは11.5kg/3200rpm。これにコラム4段ギアボックスが組み合わされていた。低速から高速までフレキシビリティーの高いエンジンであったようだ。
 足回りは、前輪がウィッシュボーンとコイルの独立懸架、後輪は幅広の3枚リーフによるリジッドアクスルである。ボディはこのクラス日本初のセミモノコックで軽量化に貢献している。車両重量1170kgは、ライバルのクラウンよりも 30kg、スカイラインよりも 145kgも軽かった。AUSTINから学んだ技術が惜しみなく投入されたクルマと言えよう。

 クラウンと同じく、税制上の小型乗用(所謂5ナンバー)の枠が、1500ccから 2000ccに拡大されたので、セドリックもまた4気筒 1883cc 88hp/4800rpm MAX 140km/hのエンジンを搭載、全長を100mm延長したセドリック・カスタムをつくった。発表当時の国産車の中で最もスピードが出るクルマとなった。

 G30型カスタムは、写真でわかるとおり、明らかにリアドアの方が大きく、後席に神経をつかっているのが目立つ。後部シートバックは、普通のクルマよりも高めに作ってある。車中で愛人との瞑想にふける重役諸氏の頭を乗っけるのに格好の作りだ。シート中央にはアームレストがあり、ドアにも大型のものがついている。ヒーターも当時としては珍しい、後席専用のものが備えられており、前部座席のシートバック裏面に温度調整ツマミがある仕掛けだ。
 全幅は初代クラウンよりも10mm小さい1680mmだが、大きく見えるのはデザインの成せる技である。押し出しの強いフロントグリルのデザインからすれば、デラックス好みで負けず嫌いの脂ぎった重役向きのクルマだったようだ。懐かしい表現で言えば「スマート」や「デリケート」とかいうことには関心はないが、とにかく他のクルマよりも少しでも速く走り、少しでも豪華な感じがするクルマに乗りたいと思う人たちには、非常に良いクルマだったのだろう。

 1962年10月には、マイナーチェンジにより4灯式ヘッドライトが縦から横並びに変更され、日本車初のパワーシートも設定された。写真のスペシャルは1963年2月に発表。6気筒 2800cc 115hpのK型エンジンを搭載している。カスタムのホイールベースを205mm、全長を345mm延長したもので、戦後の国産初の3ナンバー普通乗用車であった。

 1962年4月に追加されたワゴンのリアゲートは凝っており、電動昇降式のウインドウを下ろした後、下に開く構造となっている。荷室にジャンプシートが設けられており、8人乗りであった。