Musée automobile de la Sarthe  Amédée Bollée Famille Part 2


1898 Torpilleur

1867年に生まれた Amédée Bolléeの長男である Amédée-Ernest-Marieは父親譲りのエンスージアストぶりを発揮。世界初の半球状燃焼室(所謂ヘミヘッド)を持つエンジンを開発。1898年には世界初の空力を考慮したアルミニウムボディの Torpilleur(魚雷の航跡)でパリ〜アムステルダム〜パリの都市間レースに出場した。当時、最強の4気筒エンジンを備えた「魚雷」はアルミニウムボディで軽量化され、車高も当時の基準よりも遥かに低いものであった。最高速度90km/hを誇ったが、レースの準備不足でリタイアとなっている。



1899 Amédée Bollée fils Type D Runabout
2cyl 3150cc MAX 40km/h.

Amédée Bollée fils(息子の意)のブランド名で世に出されたのは、バルブのリフトをコントロールすることにより、エンジンの回転数を制御する装置を備える先進的なクルマだった。フロントエンドにそびえる盾のようなものは、空気抵抗を軽減するエアロパーツである。これにより乗員への風圧を抑える効果があったのだ。



1901 Amédée Bollée fils Type D Limousine
こちらは、そのリムジン。大金持からのあらゆるカスタムメードに答えられるように、年間最大生産台数を30台に抑えていた。ヨーロッパ中の公爵や伯爵連中からの注文が殺到し、会社の経営は軌道に乗った。