1947 Ducati Cucciolo 48

1926年にアントニオ・カヴァリエリ・ドゥカティの息子達であるブルーノ・ドゥカティ、アドリアノ・ドゥカティマルチェロドゥカティの3人兄弟が Società Radio Brevetti Ducati を設立した。当初はラジオや無線の部品製造会社であったが、その後は家庭用ラジオや電気剃刀やといったさまざまな電気あるいは機械製品をも手がけるようになった。当時イタリアはベニート・ムッソリーニの政策により急速に工業化を進めており、ドゥカティも急成長して1939年には従業員7000人の大企業へと成長した。しかし第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受けることとなる。

クッチョロ
ちょうどその頃トリノにあったシアタ社は原動機付き自転車クッチョロ(Cucciolo、子犬の意)を発売してベストセラーとなっており、エンジンのOEM生産先を探していた。その事情を産業復興公社が知ってドゥカティを紹介し、1946年ドゥカティでエンジンを生産することになる。ドゥカティは1947年には販売権を獲得し、改良しつつ総計25万台以上を販売した。当時はピアジオのベスパとイノチェンティのランブレッタがライバルで、優秀さをアピールするためレースに出場するようになった。(以上 Wikiより)


本日、S氏の計らいにより、モーターサイクルのスクラッチモデラーとして有名な高梨廣孝氏とお会いすることができました。とても気さくな御方で、御自身の作品を洒落たレイアウトで本としたものを見せていただきました。
これは最近、日本でデッドストック状態で木箱に入ったまま発見された Ducati Cuccioloを模型として再現したものです。
とても緻密なものですが、金属モデルというのだから驚きます。