1927 24 Hours of Le Mans Part 1


1930 Bentley 4.5L Supercharged
Bentley 4400cc Supercharged 4cyl.


 ル・マン・クラシックには英国から大挙してクルマがやって来ます。それには理由があって、戦前はBentleyが、戦後の50年代は JAGUARル・マンを席巻したからであります。特に Bentleyは会場のいたるところで展示されておりました。
 英国人の皆が、大きくて装甲車の様に無愛想な Bentleyに誇りを持っていた時代がありました。その英国人の誇りをEttore Bugattiは「ヨーロッパ最速のトラック」と吐き捨てるように呼んでいた。
 さて、話は1927年のル・マンに遡る。破綻の危機に直面していた Bentley Motors Ltdは、資金に行き詰まり、ワークス・チームをル・マンに出場する目処が立たなかった。細菌学の権威であるロンドン大学の Dudley Benjafield博士が、自分の愛車を提供しようと申し出た。コ・ドライバーには、今に続く自動車雑誌 Autocarのスポーツ・エディター SCH "Sammy" Davisが乗ることとなった。自分の造ったクルマに、このような信頼を寄せられて、W.O. Bentleyは目頭が熱くなった。
「博士が自分の愛車を提供するのなら、メーカーとしてなんとしてでも、あと2台を出場させよう」

 さあレース当日の Circuit de la Sartheは空一面を黒い雲が被っていた。雨は確実に振りそうな空模様である。この年のエントリーは僅か23台であった*1。競合する自動車メーカー間の合併や統合が相次ぎ、金融不安もレースに暗い影を落としていた。
 博士は慎重に2位を走っていた。雨はまだ降らない。夕闇がサーキットに迫っていた。博士は Davisにクルマを渡してピットで眠ろうと努めた。規則正しく何秒おきかにクルマが唸りを上げて走り去る中で、彼は眠りに落ちていった。
 突然静寂がおこった。博士は咄嗟に跳ね起きた。クルマの流れが途絶えていたのだ。5分。。。10分。。。静寂が続いた。



1927 Bentley 4.5L Tourer
Bentley 4500cc 4cyl.


  White Houseと称されたコーナーで Ariésがスリップしてコントロールを失い、土手に突っ込んでいた。ボディが横倒しになり、テールがコースにはみ出していた。このフランス車に5台のクルマが次々と衝突する。この中に Bentleyが3台も含まれていた。2台は酷くねじ曲がってクラッシュしており、とてもレースに復帰できそうにもなかった。

*1:Tractaはサーキットへ自走で向かう途中で事故に遭い参加できなかった。