1927 24 Hours of Le Mans Part 2


1928 Bentley 4.5L Tourer
Bentley 4500cc 4cyl.


 White Houseコーナーでの6台もの多重衝突。それには愛車を Bentleyに差し出した Benjafield博士のクルマが含まれていた。ドライバーの "Sammy" Davisは苦労して潰れたクルマを引き釣り出しながら神を呪った。ようやくのことでクルマを引き出すと、彼は壊れた Bentleyに乗って、よろよろとサーキットを走り、ピットにやっとのことでたどり着いた。彼は愛車が潰されて半狂乱の Benjafield博士に事故の経過を息を切らしながら説明し、その間にメカニックがクルマの修理にとりかかった。
 右前輪の片側が潰れ、右フェンダーとランニングボードも壊れ、右のヘッドライトは修復できないほど壊されていた。バッテリーはコードの先でブラブラしていた。リア・アクスルも曲がり、ステアリングも損傷していた。機械式ブレーキは調整がままならず、ほとんど効かないものとなっていた。まさに絶望的状況であったが、レースへの復帰を目指してメカニックは淡々と仕事をこなしていった。
 すっかり辺は暗くなっていた。サーキットは雨が降る危険な状況である。その中、新しいタイアを取り付けると、 Benjafieldがクルマに飛び乗り、何周か先を疾走しているトップの ARIESを追って、コースに飛び出した。 Bentleyに残された左ライトが弱々しく嵐のコースを照らしていた。Benjafieldはほとんどコースが見えなかった。しかし、レースは後18時間も残っているのだ。
 右側が潰れた片目のベントレーは、夜通し走り続けた。それは、 Bentleyに愛車を差し出した Benjafield博士の意地だったのか。。。彼のドライブは素晴らしく、トップのフランス車 ARIESとの差を、ジリジリと縮めていた。ボディは潰れていたが、幸いにもエンジンの調子は抜群であった。雨の降りが酷くなってきた。 Benjafieldのクルマは、今にもバラバラになりそうなほど酷い振動と戦っていた。コース上で停止して、外れそうな部品を縛り付ける有様であった。
 夜明けになった。満身創痍の Bentleyはまだ走り続けていた。トップを独走する ARIESに遅れること65km。大観衆の誰もが Bentleyが力尽きるであろうと思っていた。しかし、Bentleyは走り続け、レースは続いていた。
 天気は相変わらず雨のままだった。昼を過ぎ、午後1時になった。ARIESがピットに入って修理を始めた。イグニッション・システムの調子が悪くなっていたのだ。ARIESが再びレースに復帰した時までに、Bentleyはその差を40kmに縮め、しかも2位に進出していた。
 Benjafieldが DUNROP Bridgeをくぐり抜け、ゆるい坂を登りつめた時、ARIESが道端に停止しているのが見えた。イグニッションは遂に壊れてしまったのだ。レースの残り時間はもう1時間を切っていた。ARIESのドライバーは懸命に修理をしていた。
 遂にボロボロの Bentleyがトップに立ったのだ。
 あと2周という時となると、フランス人までもが声を限りに Bentleyを応援した。ボロボロになりながらも不死鳥のように蘇った Bentleyをである。そしてあと2周というところで Benjafieldはピットインして、クルマを "Sammy" Davisに譲った。最終ラップを走る権利は、 Davisにあると彼は考えた。18時間以上も前に多重衝突事故に遭いながらも、クルマをリタイアさせなかったのは "Sammy" Davisのおかげなのだからと。騎士道精神とは正にこの事であろう。
 数分後、 "Sammy" Davisはチェッカー・フラッグを受けた。ボロボロとなった Bentleyが優勝したのである。



 英国に戻り、"Sammy" Davisが所属していた英国の権威ある自動車雑誌 Autocarがロンドンでも贅沢なホテル The Savoyで Bentleyのためにル・マン優勝祝賀会を開催した。食事が終わると全員が立ち上がって、グラスをあげ乾杯した。
 その時、司会者の合図で、The Savoyのボーイが、会場の一端にあるドアを開いた。そこには潰れて、泥だらけになった Benjafield博士の愛車 Bentleyが鎮座していた。決して音を上げなかった頑丈なエンジンがかけられた。轟音が鳴り響く中、そこに居合わせたすべての人々の目に涙が浮かんでいた。