RSCC ROUND 2 NASCAR 1957 - 1966



都内亀有某所にある River Side slot car Club CUPの第2戦は NASCAR 1957 - 1966である。

我がチームは#121。タイアはシリコンの INDY GRIPSに履き替え、フロントにはタミヤのミニ4躯のウェイトを搭載。ほぼ60:40の重量配分に。車重はギリギリの140gで車検をクリア。ガタ出しは出来なかったけれど、なかなかクルマの仕上がりは良かったのだが。
如何せんドライバーのミスが多く、コースミスを連発。
マーシャルのルーキーTサキ君からは、Andrea de Cesaris*1の称号を頂くこととなった。

結果は予選ビリケツで決勝進出ならず。いつになったら這い上がれるのかw


予選の模様。

今回は予選のみであったが、初めてローリング・スタート形式が採用された。


 プラクティスでは、なんと無調整箱出しの#6Nムラ製作所が調子が良く、レース展開は荒れるとの予想が体制を占めた。
 レースが始まると(30周 X 4ヒート)若手Tサキ君#43が俄然早さを見せつけ、テールフィンを利用してライバルを弾き出す等強さを見せ、Nムラ製作所は余裕で「三味線を弾く」場面を見受けられたのだが……。




 決勝は、意外にもタイア脱落でピットイン多発、前半戦不調だった#28「コマドリ自動車」が優勝した。


RSCCのレース賞品は、各自が各々持ち込んだモノを順位順に好きなものを取ることに。
ビリケツの自分は、コレでした。ビリでも満足♪


次回は、いよいよル・マン・テスト・デー。車種は 1965 - 1969でライト点灯が義務付けられます。

*1:クラッシュが多いことを揶揄され、「壊し屋」と呼ばれていた。歴代F1ドライバー中、リタイア総回数・連続リタイヤ数も第1位である(生涯完走率は34.1%にすぎない)。