偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part17  “Dick” Seaman's Last Race


Belgian Grand Prix, 25 June 1939. Richard Seaman on Mercedes-Benz W 154 (number 26) in persuit of H.P. Muller on Auto-Union.


 戦前〜戦後を通じて最も危険な公道高速サーキットと称された Spa-FrancorchampsでのベルギーGP。1周 14.5kmのコースを 507.5kmを走り抜ける。ドライバーに与える緊張は並大抵のものではなかった。スパでのスターティンググリッドは予選でのラップタイムによらず、くじ引きによって決められた。このため練習走行は余興のようなものであった。
 1939年6月25日、サーキットには暗く雨が降っていた。何千人もの観客がレースを傘をさして待ちわびていた。スタートラインは傾斜がついた厄介な場所にある。ドライバーが気付かないうちにクルマが転がりだしてフライングのペナルティーをとられる危険性がある。小さいハンドブレーキがついていたが Neubauer監督は落ち着かなかった。小さな木片をクルマ止めとして置くことを監督は提案したが、メカニックにタイアが傷つく恐れがあると言われ、そこでチョークの塊ならスタートすればつぶれてしまうだけだからどうかと提案があり採用された。
 雨はスタートの秒読みが開始されると土砂降りに変わった。監督には不安がよぎった。ただでさえタール舗装のコースは滑りやすく、急なヘアピンと鋭いカーブのある高速コースは危険だからだ。
 Hermann Langは Giuseppe Farinaの赤い Alfa Romeo Tipo 316と Paul Hermann Müllerの Auto Union TypeDと並ぶ第1列を引き当てた。“Dick” Seamanは2列目で Caracciolaは3列目、Brauchitschはその後ろで4列目を引き当てた。ベルギーのレオポルド国王が見守るなか、2時30分きっかりにスタート・フラッグは降ろされ、マシンは飛び去った。チョークは効果があったようだ。Auto Unionの Müllerがトップに立ち、その後を Langが肉薄するという展開となった。
 スタートするマシンを見ながら Neubauer監督は不吉なことに気が付いた。出走車は13台、“Dick” Seamanのナンバーは26で彼は26歳、これは2つともキリスト教の不吉とされる 13の倍数なのだ。13という数字を唯一の迷信としていた“Dick”がこのことを知っていただろうか? いやそんなことはないと監督は自分に言い聞かせた。
 3ラップ目になって Caracciolaは Nuvolariを抜き去り Langの後ろについた。2人は Müllerの後ろでタイアが接触するばかりのデッドヒートを展開していた。危険極まりない Stavelotの急カーブで Langは追い抜こうと挑んだが失敗した。何度もやってみたが Müllerが巧みにブロックするのだ。
 2人は何度も Müllerに挑んだが成功しなかった。 5ラップ目には Seamanが追いつき、Caracciolaと Langの3人が団子状態で Müllerに肉薄していた。明らかに Müllerの進路妨害であった。監督はスーパーチャージャーの轟音に負けないほどの大声で「走路妨害だ。あいつに青旗を出してくれ」とコース・マーシャルに抗議したが理解していないようだった。
 8ラップ目、Langは Müllerを追走することのストレスに精神的に疲れてしまい、拳を振って後続の Caracciolaに「抜け」と合図した。Caracciolaは彼の前に出て、Müllerを強引に抜くか、あるいは彼が諦めて道を開けてくれるのを待つか様子を見ることにした。ところが Müllerは操縦に忙しく、後続車に注意をはらう余裕は微塵もないようだった。
 雨の中で本領を発揮する Caracciolaがタイアから跳ね上がる水しぶきを顔に浴びながら激走した。彼は滑りやすい La Sourceのヘアピンで彼を抜き去ることを決意した。Langは共に Müllerを抜くために、Caracciolaの後ろで待機していた。La Sourceよりも幅広い Stavelotのカーブで Müllerが外側に入ったチャンスを Caracciolaは見逃さなかった。すかさずインに入って抜こうとした。しかし、後輪が空転し、それを抑える術は彼になかった。マシンはコースを横切ってスリップし、鉄条網と生垣の柵を突き破ってコース脇の沼地に突っ込んで止まった。ずぶ濡れで泥まみれとなった Caracciolaは歩いてピットに戻った。事故のショックでまだ顔面蒼白だった。皮肉にも彼のリタイア直後に Müllerのエンジンが不調となり順位を下げている。
 その間に Langは Seamanを先に出してやった。12ラップ目に Seamanが1位に、2位に Langが続いた。Seamanの走りは上品でしかも大胆だった。コースの両端は石炭がらで縁どられていたが、彼はコーナーで前輪をタイアの幅だけコースの内側に入れて、パワースライドする操縦を行っていた。これで貴重な数秒を稼いだが、かなり危険なテクニックであった。

不吉な13番と激しい雨。悲劇のレース結果は如何に……。
明日につづく。