偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part16  Caracciola NO WAY!



MERCEDES-BENZ W154/163
V12気筒 DOHC 4Valve 2962cc 485ps/7800rpm

 トリポリGPから2週間後、MERCEDES-BENZはアフリカの熱風から EIFELRENNENの湿っぽい霧の中で戦うことになった。5台の W154が投入されたが、その中の1台は大幅に改良されたものであった。開発型式 163エンジンを搭載し、より戦闘力をアップしていたのだ。Wagner,Heess,Uhlenhautの MERCEDES-BENZ技術部の3人組は、2段過給をかけて約 60psの出力の向上および特に中速トルクの向上を行い、38年シーズン中に多発したオイル循環の不十分の問題を解決するためにオイルポンプをさらに2個増設し(合計9個)、重量を約 70kgも軽減して加速性能向上をはかり、かつアルフィン・ドラム・ブレーキの内側は冷却空気を送り込む構造となり、制動力の強化をはかっている。外見上はグリルが大幅に小さくなり、空気抵抗が軽減された形状となっているので一目でそれとわかる。
 このように開発された新型であったが、チームの誰もが乗ろうとはしなかった。Caracciolaをはじめ、Brauchitsch,“Dick” Seamanそれに新規補充ドライバーの Hans Hugo Hartmannら全員から拒絶された。その圧倒的なパワーが「危険すぎる」というのが理由だった。タイアの性能も有り余るパワーをレースを通して受け止めることができるのか心配だった。
 “Dick” Seamanと Brauchitschには個人的な理由があった。“Dick”にとってこれはシーズン最初のレースであり、前年彼としては初めてのグランプリ優勝を飾ったのが、ここ Nürburgringであった。ここでの優勝を愛妻に捧げようとしていたのだ。一方 Brauchitschは前年の敗北の報復を考えていた。
 だれも乗りたがらなかった新型には Hermann Langが説得されて乗ることとなった。テスト走行では AUTO UNIONの Tazio Nuvolariが毎周 10分3秒で、きっかり同じスピードで周回しているのを Neubauer監督は見逃さなかった。2ステージのコンプレッサーで過給する新型は圧倒的なスピードを誇っていた。タイア交換で失われる時間を最高速度で取り返す作戦が練られた。当然のことながら新型に乗る Hermann Langのタイア交換が優先され、特にタイアを酷使させる Brauchitschが次、その次がCaracciola、最後に“Dick” Seamanの順となった。



  チームのドライバーに対し決してえこ贔屓をしない Neubauer監督だが、彼は密かにこのレースの勝者を Seamanだろうと予想していた。“Dick” Seamanは誰よりも速く、このコースを走らせることが可能だったからだ。ところが、“Dick” Seamanのマシンはスタート前にクラッチのトラブルを起こしてしまう。慎重な彼がクラッチの操作をミスして焼きつけてしまったのだ。一瞬にして彼のレースは終わりとなった。
 Hermann LangとトリポリGPで負けたのを未だ根にもっている Caracciolaとの間で私闘が繰り広げられることを監督は危惧した。2ラップ目に Caracciolaは2位の位置につき、3ラップ目にはトップに立った。その後ろには Langと Nuvolariがぴたりとついていた。4ラップ目に Langはピットインしてタイアを交換した。32秒で交換し、また走り出した。このタイムは現在の数秒で終わるF1とは雲泥の差であったが、ハンマーでスピナーを叩いて交換していたこの時代では十分早かった。しかし、トータルで1分の遅れとなり3位に転落した。Caracciolaは執念で Langよりも15秒前を走っていた。
 7ラップ目に Caracciolaはタイア交換と燃料補給でピットインせざるを得なかった。その間に Nuvolariと Langが彼の脇を飛び去っていった。給油中にも時は刻々と過ぎ去っていった。突然 Caracciolaは叫び始めた。
「もういい、タンクに入れすぎだやめろ!」
監督がわけもわからず唖然としたたまま、Caracciolaはコースに飛び出て行った。
  Langは Nuvolariと首位争いを繰り広げていた。彼はラップタイムの新記録を樹立。危険な2ステージ・コンプレッサーを非凡に操っていた。4輪が路面に吸い付いているような錯覚を覚えるほど素晴らしいものだった。
 遂に Langは Nuvolariを射程圏内に捉えた。タコメーターの針がギリギリ赤ラインを超すまでガスペダルを踏み込んだ。監督はハラハラしながらそれを見守った。エンジンが少しの時間だけ持ってくれれば良いが…Neubauerは祈った。
  Langは Nuvolariを抜き去り、その差は急速に広がっていった。そして監督が恐れていたことが起きた。エンジンがミスファイアをはじめたのだ。Langはガスペダルを緩めて数秒間プラグを冷やした。Nuvolariが急速に接近するのを確認すると、彼はガスペダルを床まで踏み込んだ。2ステージのコンプレッサーによりエンジンがさく裂し、レースは事実上終わった。Nuvolariはタイアに無理をかける危険を冒すことはできずに2位でフィニッシュした。
 新型エンジンを搭載した Langの優勝に監督は大喜びしたが、Caracciolaは怒りの表情でヘルメットを引きちぎるように脱ぎ、憮然として投げ捨てていた。彼らしくない行動であった。
「燃料補給とタイア交換が Langよりものすごく時間がかかる。トリポリと同じだ」ピットの対応に対して怒りをぶちまけていた。
 翌日の優勝祝賀会でも Caracciolaの怒りは収まらず、彼が Lang夫妻と目を合わせることはなかった。パーティーの空気は重苦しく、誰もが心から祝う雰囲気ではなかった。あくる日の会議室での話し合いで取締役の Kissell博士に彼は食って掛かった。博士は彼の不満を一通り聞くと「互いに仲直りすることを希望する」と言って部屋を去った。

 舞台の中央から身を引き、年下の者に道を譲ることがいかに難しいことか、それを感じさせる Caracciolaの振る舞いであった。彼の自伝には、この間のトラブルは1行も記載されてはいない。
 優勝した Langは完全にツイていて、しかも Caracciolaより 10才も若かった。つまり失うものは少なく、危険な新型に乗って得るものが大きかっただけにすぎなかったのだろう、と Neubauer監督は後日その著書にて述懐している。

 戦後50年代、ライバルの Hermann Langは次のように語っている。
「カラッチュと私の関係がどうなろうとも、このことだけは素直に認めねばなるまい。つまり、彼はすべての点において最高のドライバーであり、いつも私の手本であった。彼の走り方には他の誰がやってもできない素晴らしい上品さがあった。彼を学び賞賛するのは1度たりともやめたことはなかった」