偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part14 1939: record-breaking attempts on the Dessau


February 9, 1939: record-breaking attempts on the Dessau - Bitterfeld Reichsautobahn by Rudolf Caracciola in the Mercedes-Benz W 154 12-cylinder record-breaking car.

 1939年2月9日、  MERCEDES-BENZは新設されたDessau - Bitterfeldのアウトバーンを使って、3リッタークラスの国際速度記録に挑戦した。もちろんドライバーは Caracciolaである。当時、この記録は Maseratiが保持していた。シルバーに輝く車体には3リッターV12エンジンが搭載されており、空気抵抗を最小限に抑えるため、低い車体と車輪は別々にカバーで覆われ、ジュラルミン製の軽量ボディが架装されていた。通常のラジエターは外され、例のアイスボックスが備えられている。シートの座り心地はよく、Caracciolaの体にぴったりだった。最初の走行ではスピードがそれほど出ていないように彼には感じられた。路上の砂で何度かタイアがスリップした。しかし Caracciolaには、去年の速度記録挑戦より気が楽だった。計測区間に陸橋が1つもなく幅もあったので、ステアリングの数ミリの違いで陸橋に激突する恐怖は皆無だったのだ。その意味で Caracciolaが緊張するスピード感は皆無だった。テストが終わり彼は失敗だったと思い「こいつはうまく走らないぜ。300km/h以上はでていないだろう」と監督らに言うと、皆が一斉に大笑いした。
「400km/h近くでていたよ」Neubauer監督は言った。 Caracciolaは驚いて返す言葉もなかった。平均速度 398.230km/hの国際速度記録を達成したのである。3リッター・エンジンとしては信じがたい記録だ。1年前の記録、432.700km/hを出した 5.7リッター・エンジンの半分の排気量しかないのだから。


 Caracciola達は Dessauからベルリン・モーターショーに向かった、そこでは昨年のモータースポーツ功労者への表彰式が開催された。Caracciolaはドイツ・スポーツ・ゴールド・トロフィーを授与され、5度目のヨーロッパ・チャンピオンとなった。スポーツカー・レースで2回、ヨーロッパGPで3回である。


左からBrauchitsch、後ろを向いているのは宣伝相Goebbels、Caracciolaそして独裁者。Caracciolaは独裁者よりも小さく見える。


 1939年3月15日、戦争の危機は再び燃え上がった。この日の朝早く、ドイツ軍はチェコスロバキア国境を突破、チェコスロバキアボヘミアモラビアを第3帝国のベーメン・メーレン保護領とし、首都プラハを無血占領した。チェコ人を武装解除させたのである。兵器と自動車で有名なシュコダ社を手に入れたことがなおさら戦争の危機を加速させた。その10日後、ドイツ軍はリトアニアにも進駐。同月22日にはメーメルを住民投票で併合することとなった。皮肉にも民主主義が戦争の危機を加速させていたのである。
 いつまで平和が続くのか? Caracciola達は不安にかられながらもレースを続けていくのであった。