偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part7


German Grand Prix on the Nurburgring, July 25, 1937: Shortly after the start, in the southern hairpin bend, the Mercedes-Benz W 125 formula racing cars of Hermann Lang (number 16) and Rudolf Caracciola (number 12), who was to win the race, were leading the field. Behind them Auto Union drivers Bernd Rosemeyer and Hans Peter Muller, followed by Manfred von Brauchitsch (runner-up), also driving a Mercedes-Benz W 125.

 1936年は、ほぼ惨敗という惨めな結果で終わった MERCEDES-BENZ。W25のメカニズムを詳細に検証し、その原因を天才技術者の Rudolf Uhlenhautは探り出していた。そして出来上がったのが W125である。


1937 Monaco GP - Mercedes-Benz W125
直列8気筒 コンプレッサー DOHC 4Valve 5660cc 592ps/5800rpm

 1937年シーズンは当初、750㎏フォーミュラーから、3.5リッター過給エンジンまたは4.5リッター非過給エンジンという新フォーミュラーに変更される予定であったが、1936年9月の段階で新フォーミュラーに移行するには、あまりにも開発期間が短すぎるということで、1937年シーズンは 750kgフォーミュラーをそのまま継続し、1938年シーズンから過給エンジンをさらに 500cc縮小した3リッターとして新フォーミュラーとすることが決定された。


直列8気筒 DOHC エンジン。エンジン・カウルの縁の細かい肉抜き穴に注意されたし。


MERCEDES-BENZチームの技術主任 Max Wagnerと彼のアシスタントであった Rudolf Uhlenhautは V12過給の新しい3リッター・エンジンを来シーズンのために開発を進めるとともに、限界にきていた W25のシャシーを大幅に改造することで新フォーミュラー・マシンの基礎資料を作り、なおかつ直列8気筒エンジンの排気量を 5.66リッターに拡大したマシンを作るべく決定した。これが W125である。その結果、史上最強の 592馬力というグランプリ・マシンが誕生したのだ。
 エンジンの構造自体は、これまでの MERCEDES-BENZの手法に沿った保守的なものだった。ただし、このエンジンで新しく試みられているのは、同社独自の方式であった過給器をキャブレターの前に配置していたもの(圧力型気化器方式)を、オーソドックスな形式であるキャブレターのあとで混合気を圧縮する方式(吸入型気化器方式)に変更してテストされていることである。混合比のコントロールの容易さと正確さ及び、燃料の気化潜熱を利用した吸気ガス温度の一定のブースト圧における低下の度合いなどが比較検討されたはず、と元ホンダF1監督の中村良夫さんは分析している。結論となるが、テストの結果で従来の圧力型気化器方式が引き継がれた。
 史上最強のパワーを吸収するシャシーとして、フロントは独立懸架(不等長Wウィッシュボーン)のバンプ・リバウンド・ストロークをなるべく大きくとり、W25ではフロント・クロス・メンバーであるパイプの中に横置きにコイル・スプリングを設けていたが W125ではウィッシュボーンの間に大径コイルを配し、柔らかいスプリングを用いて接地追従性をさらに良くしている。リアはド・ディオン形式で、できるだけ対地キャンバー変化の少ない設計としている。その時代では、グランプリ・マシンは堅いスプリングで、音のやかましいものと設計者も思い込んでいた。この結果、ドライバーはカクテル・シェーカーの中のドライ・マティーニのように、小突き回されていた。これは、それまでのグランプリ・マシンの常識であったガチガチのバネで支持することから、大きく新時代のマシンに飛躍するセオリーとなったのである。象の叫び声のような音は比較的静かになり、「その下で600馬力の猫がゴロゴロと喉を鳴らしている安楽椅子に腰かけているのと同じ快適さがあった」と Neubauer監督は評価している。パワー・ウェイト・レシオは1kg/ps近くにもなっていた。着座位置も少々低くなっている。
 
 史上最強のGPマシン W125によって Caracciolaは、ドイツGP、スイスGP、イタリアGP、 Masaryk GPで勝利し、見事に2度目となるヨーロッパ・チャンピオンシップの王者の地位を奪還した。その他、Eifelrennenでは2位、モナコGP2位、ドイツ・ヒルクライムGP2位、Junior Car Club 200 mile race2位、ドイツRoad Racing チャンピオンも獲得している。


1937 Swiss GP - Rudolf Caracciola Mercedes-Benz W125

 この年の6月、Caracciolaは、最初の妻を不慮の事故で失い、すっかり気力を失っていた時期に、看護の手助けをした Hoffman夫人と結婚した。2人はドイツの客船ブレーメン号に乗りNYに渡った。ハネムーンを兼ねて Vanderbilt Cupに出場したのだ。Caracciolaは Rosemeyerとデッドヒートを展開したが、16周目にエンジン不調でピットイン。コンプレッサーの故障でリタイアとなっている。