偉大なるドライバー Rudolf Caracciola Part3

 1931年、ドイツを襲った世界恐慌の波は甚大な被害をもたらした。ドイツ国内の失業者の数は数百万人にものぼり、「自分たちの失業の陰でユダヤ人が儲けている」、前年の選挙によりドイツ国会における第2党となったナチスアジテーションに大衆は引き込まれていった。国はストライキと攪乱に疲れていた。そんな御時勢で MERCEDES-BENZを購入できる人がいるはずもなかった。1932年のいかなる自動車レースにも。遺憾ながら参加は不可能であると、Daimler-Benzは発表した。
 ある日、Caracciolaは Neubauer監督夫妻を自分の別荘に1ヶ月過ごすよう招待した。ある夕方、 Neubauer監督は帰り道で Alfa Romeoの Giovannini監督とばったり出会う。彼はひとり御満悦のようであり、足早に列車に飛び乗った。別荘に戻った Neubauer監督がやんわりと Caracciolaを問い詰めると、
「どうすればよいのだ? 飢え死にしろというのか? ドイツにはレーシング・チームを維持できるメーカーが一つもないという理由だけで、飢え死にするのかい?」
Caracciolaは答え、Alfa Romeoと契約したことを認めた。 Neubauer監督は彼を責めることはできなかった。


Alfa Romeo Gran Premio Tipo B

 2.6リッターのモノポストに乗った彼は翌 1932年のドイツGPにて優勝したが、そこにいくまでに辛い思いをしていた。あくまでもドイツ人である彼を、Alfa Romeoの3人のエース・ドライバーである Tazio Nuvolari, Baconin Borzacchini, Giuseppe Campariが拒否したのである。Monaco Grand Prixに於いて Caracciolaは1位でゴールできるところを空気を読んで、Nuvolariに道を譲った。これにより「ドイツ人のクルマは白く塗れ」と彼らから言われたことも撤回され、正式に4台目の赤い Alfa Romeoとなったのである。

 1932年5月、Caracciolaは初めて赤いクルマに乗ってドイツのサーキットに現れた。AVUS Circuitだ。
レース前夜、彼はスポーツ関係者が集まるバーにて、レース仲間と飲んでいた。テーブルを囲んでいたのは、Neubauer監督をはじめ、レーサーの Hans Stuck, Brauchitsch, Malcolm Campbell卿、その他数人。
 その中に場違いな怪しい人物がいた。Erik Jan Hanussenである。


Erik Jan Hanussen

 ユダヤ人である彼は一端の手品師だったがナチスのヨーゼフ・ゲッベルスと交流を持つようになると徐々に頭角を現わす。超能力を舞台に掛けるようになり、千里眼で有名となるのだ。1930年代には彼のステージショーは大盛況で、非常に人気があった。ヒトラーとも交流があり、ヒトラーお抱えの預言者としても活躍する。また、軍人上がりのヒトラーの演説に対し、あの狂ったようなボディ・ランゲージを指導したのも Hanussenである。
Neubauer監督は千里眼なんぞ信じていなかったので、Hanussenに、明日のレースの優勝者を当ててみろと、冷やかし半分で吹っかけた。前口上を述べた後、彼は手帳から紙を破き、2つの名前をそこに書き、そして折りたたんで封筒に入れて封をした。
「これをバーテンダーに預けておきます」彼は言った、「明日の晩まで絶対に開けてはいけません」そして、妙に抑揚のない声で付け加えた。
「このテーブルにいる私たちのうち、明日1人が優勝するでしょう……もう1人は死ぬでしょう。その2つの名前はこの封筒の中にあります」
 翌日、16時きっかりにスタートの旗は降ろされた、その15分後に2台のBugattiの姿が見えなくなっていた。Hanussenの予言の半分が当たったのだ。南カーブの手前で、2台の Bugatti同士が接触、1台がコースを飛び出し18メートルも宙を舞って3本の木に激突したのである。ドライバーの頭は粉々に飛び散っていた。亡くなったのはチェコのロブコウィッツ皇太子であった。レースは最終ラップ Caracciolaを僅差で抜いた Brauchitschの勝利に終わった。
 その日の夜が更けて、Neubauer監督は Hanussenの封筒を開けてみた。そこにはBrauchitschと皇太子の2人の名が書いてあった。手品のトリックだと思った監督は、後に Hanussenがレースにロブコウィッツ皇太子が出場することを思いとどまらせるよう、ドイツ自動車クラブに要求していたという新聞記事を読むことになる。クラブの連中は Hanussenの警告を無視したのであった。
 悲劇的なチェコ皇太子の死亡事故から1周忌になろうとした頃、ベルリン〜ドレスデン間のアウトバーン近くの森林で Hanussenの死体が発見された。警察は、その死亡原因をつきとめることができなかった。一説によれば、ヒトラー政権樹立と共に独裁者の命により暗殺されたといわれている。彼は、ナチスによる国会議事堂放火事件も予言していたが、それが命取りとなったという人もいる。
 ユダヤ人嫌いの独裁者と付き合ったユダヤ人の悲劇でもあった。