1966 JAPANESE SLOT CAR SCENE 『MODEL SPEED LIFE No4 66/2』

66年前後を疾風のように過ぎ去ったスロットカーブーム。その貴重な記録である。


表紙の写真は今もスロットカーが盛んな名古屋市内、中京ボーリングセンターの2階に1965年12月にオープンしたものだ。全長56mのサーキットの特徴は、360°のループ。ループには落下したクルマを受け止めるフンドシのような布が吊られている。アップダウンを繰り返すストレート! こんな奇抜なコースが60年代らしい。電源はループをクリアするために 14Vになっている。コース全体を見渡すことができない状況でクルマをコントロールするのは至難の業であったろう。



B級メーカーの老舗、童友社。「特許ブレーキ装置」が売りなのだが、本文の紹介記事を読むと、「そもそもギアの加工精度が悪くて回転が上がらず、ブレーキを必要とするほどスピードが出ない」と斬り捨てられております(苦笑)。ボディーはレベルのコピーであろう。デラックスという言葉も死語だな。昔の大衆はデラックスという言葉にシビレテおりましたよん。



航空機模型の老舗「ハセガワ」もスロットカーを出しておりました。
CANGUROがなぜか GTZと ZAGATOの作品になっているのはご愛嬌。




ホームサーキット、「家族ぐるみで楽しめる」とありますが、驚くのはその価格。アパートの家賃が6〜7千円だった時代に1万円前後もしていたこと。これが舶来のレベルとなると 27,500円と大卒初任給よりも高いのが驚きだ。1$=360¥の固定相場制の時代である。



昭和天皇が使用していた Mercedes-Benz 770Kはフジミのキット。後部ドアの菊の紋章に注意。この頃は「火星ちゃん」とか「ナルちゃん」とか皇族が愛称で呼ばれていた時代だ。その後、天皇御料車が模型化された話は聞いたことがない。



世界のタミヤは、この頃からイラストが正確なものになっている。ブランドマークがまだ☆☆ではない時代。タミヤもホームサーキットを販売していたことに注意。同梱された完成車2台の車名は記載されていない。



ニチモの広告。いずれもモーター別なことに注意。


 本文記事には、「66年モデルカーレーシング界に望む」との新春座談会が掲載されている。それによれば、サーキットの走行料は 10分 100円であったことが記されている。当時の 100円といえば、コカコーラが50円、ガムが20円、喫茶店のコーヒーが80円の時代。子供にとって 10分 100円は恐ろしく高いものであった。レース参加料が 300円が標準だったようで、参加できる子供は僅かであったろう。
 読者の声の欄の投稿には、「この間、私達の学校では父兄が一緒に行かなければ、サーキットへ行ってはいけないことになりました。こんなことがあっていいのでしょうか。レーシングカーに無理解な大人に、抗議したい気持ちでいっぱいです」(東京都中野区・堤広太郎・中3)といったものもある。父兄というのが時代を感じさせる。
 高額な走行料と、基本的に日本のサーキットは犯罪の誘惑と暴力に満ちた繁華街で営業されていたことも、ブームが短期間で終わった原因なのであろう。