【三本和彦】 燃費偏重の日本車業界に辛言

昔、「健康のためなら死んでも構わない」なんていう笑い話がありましたけれども、クルマを使ううえで消費燃料が少ないということが、どうして移動すること、移動する楽しみよりも上位に来るんでしょうかね。僕にはちょっと理解できません。
 例えば今のハイブリットカーってのはいくら走ってガソリンを入れたって元なんか取れないでしょう。どうしたって余分にお金がかかります。「僕は食事が嫌いなんです。とにかく食費を減らすことが目的なんです」って言っているようなものですよ。
 省燃費がとっても大切というのであれば、いい案がありますよ。愛車をずっと駐車場に置いておけばよい。これはたいへん省燃費ですよ。もっといいのは持たないこと。普段は電車に乗って、たまにクルマの写真でも眺めて満足していればよいのではないでしょうか。
 昔は別のことに熱心でした。今から20年ほど前、なんでもかんでもゼロヨンタイムが速いほうが偉いという風潮が自動車ジャーナリズム界に蔓延したことがありました。当時、馬力は280馬力で頭打ちでしたからね。頭打ちっていったってどこのメーカーもメンツってものがあるから、我々に貸すようなクルマにはこっそり320馬力くらいのクルマがあてがわれていて、アクセルを踏むとずいぶん乱暴に加速する。
「おいおいこれ昨日免許とったお兄ちゃんでも買えるの?」とメーカー広報マンに聞いてみた。するとこう揉み手をして近づいてきて「さすが三本さん、お気づきですか。これにはちょっと手が入ってまして」なんて言いやがる。まったく三河屋かっての。まあ三河の近くに本社があるところのクルマなんですけどね。ま、トヨタの話なんですけど。
 話がズレちゃったけど、ゼロヨンタイムなんていうものは、普段クルマを使ううえでまったく重要ではないわけです。乗っていて楽しかったり気分がよかったり、上等な気持ちになれるってのとも関係無い。
 さすがにそのことに気づいて「ゼロヨンタイムや馬力なんていうのはそこそこでよいね」ということになったと思ったら、今度は「燃費が良ければ偉い」って話になっちゃった。
「羹に懲りて膾を吹く」(失敗にこりたあまり、用心深くなりすぎることの意)ってのはこういうことを言うんだろうねぇ。
 なんのための馬力ですか?何のための省燃費なんでしょうか?
 昔、三菱重工の偉い人と話をしていた時に三菱自動車の話になって、その人が「なんだ、民生品を作ってるところね」とバカにしたように言った。ああ、この人は大変な勘違いをしていると呆れましたよ。
 軍用品や芸術品や研究用を作るよりも、民生品を作るのはとっても難しいんです。あるひとつの性能に特化して、それを追及する機械を作るのは簡単ですが、しかし民生用自動車というのはそうはいかない。燃費だけでなく加速や減速や乗り心地や価格やデザインや、ここが重要なんですけども、安心や安全や楽しさもなくてはいけない。そうした高い要素を高い次元でバランスをとって成立しなくてはいけないんです。
 燃費だけではない。速さだけではない。安さだけでもない。すべてを丸ごと抱え込んだ先にある楽しさ、充実感、喜び。クルマっていうのはそういうものだと僕は思いますよ。ベストカー9.26号)

三本さんの苦言は、CGの連載コラムから始まって、今に至るまで歯に衣着せぬところは一貫している。以前はNAVIという雑誌が名物記事「NAVIトーク」で辛辣な批評を展開していた。そのNAVIも廃刊となり、新生CGは当たり障りのない、都合よく解釈できる記事を垂れ流している。
ダメなものはダメと書かない「和の思想」が蔓延している自動車雑誌の中では、泥臭い紙面構成(どぜう首相と同じかw)や日本車偏重の「ベストカー」がマトモな雑誌として機能しているのは皮肉だ。
あの小林彰太郎の新刊がCGから出版されず、講談社ベストカーから出版されたのにも驚かされた。これからもベストカーから目が離せない。立ち読みで十分だけど(笑)。