Goodwood Festival of Speed 2011 POST-WAR GTs Part3


1966 PORSCHE 906
空冷水平対向6気筒 SOHC 1991cc 210ps/8000rpm
 母親が Ferdinand Porsche の娘だった、現VW会長 Ferdinand Piëch が技術者として Porsche に入社したのが1963年。911 のエンジンの開発に携わった後に、65年の夏、28歳の若さで研究開発部門の主任技師に就いたのである。相当に生意気な若造だったことが想像されるが、彼がトップで行ったのは前任者による 904 の全否定からはじめた 906 の設計だった。すなわち 904 の大きな特徴であったボックス型のプレス鋼板製シャシーを、それ以前の Porsche が採用していた鋼管スペース・フレーム構造に戻すことであった。軽量性が重視されたシャシーに、シュツットガルド工科大学の風洞実験により決められた斬新なデザインの軽いFRP製ボディーは観る者を驚かせ、また魅了した。エンジンは基本的に 911 のものだが、材質にコンロッドにチタン、クランクケースにマグネシウム合金を使用するなど軽量化された。足回りは旧 904 のものが移植されたが、戦闘力は大幅に向上していた。何よりも 904 と違うのは純粋なレーシング・スポーツとして販売されたことである。FIAの規定によりグループ4の生産台数は50台以上と決められていたが、66年5月までに 906 は50台生産され、45000DM(当時の邦貨にして450万円)で市販された。日本でも当時、滝進太郎氏が日本GPに持ち込み活躍したので50歳以上のオジサンには有名なクルマである。


1966 Targa Florio

 906 が活躍したのは66年の1シーズンのみであったが、タルガ・フローリオに優勝したのをはじめとして、ル・マンでも出場した6台のうち4台が4-5-6-7位を占めて、仮想敵であった FERRARI DINO 206 S を圧倒し、同年2リッター以下のスポーツカー・チャンピオンとなっている。
28歳の生意気な若造は先輩たちにレース結果で能力と実力を示し、社内での地位を固め、VW-AUDI-PORSCHE 帝国の皇帝となっていくのである。