Goodwood Festival of Speed 2011 INDY REAR-ENGINED REVOLUTION

 1961年、Jack Brabham がアンダー・パワーでも善戦したのに、アメリカ合衆国の恐竜たちはミドシップのデザインに反発した。Jim Clark がインディーで勝利するまで。






1961 COOPER-CLIMAX T54‘THE KIMBERLY SPECIAL’
直列4気筒 DOHC 2Valve 2750cc 270ps/6750rpm
 ロンドン郊外の Serbiton でガレージを営んでいた Cooper 親子はオートバイ用500ccエンジンを使ってF3マシンを製造していた。最初からエンジンはミドシップ・マウントであった。その後、消防用ポンプ・エンジンのメーカーであった
Coventry社から売り出された Climax FPF 市販エンジンを使用し、F1に参戦することになる。最初は2リッターの非力なものだったが(規定は2.5リッターであった)、Stirling Moss の操縦でライバルのフェラーリマセラティーのワークスを相手にたびたび優勝、1958年のコンストラクターズランキング3位となる。
 これにより Cooper 親子は、ミドシップの操縦性の絶対的な優位を示し、フロント・エンジンを葬ったのである。また、大企業が特別に造ったエンジンではなく、 Coventry社の市販エンジンを使っても、小規模であるが情熱をもったプロの集団により、グランプリを勝ち得るマシンが造れることを実証したのである。
 1959年、 Climax エンジンは2.5リッターに格上げされ、 Jack Brabham は1959〜1960年の2年連続世界チャンピオンを獲得。COOPER-CLIMAX も2年連続コンストラクターズ・チャンピオンを獲得したのであった。
  1959年のUSグランプリ。この時、この年のインディーで優勝したRodger Ward はKurtis Offy Midget で参戦していた。彼は予選走行で COOPER-CLIMAX がカーブを速いスピードで走り抜けるのを見て、 このマシンでインディーに参戦すれば、良い成績でかなりの賞金を稼げるとクーパーに進言した。


1959 US Grand Prix for Formula One - Roger Ward in a Kurtis Offy Midget


 翌年の1960年、クーパーはUSグランプリの直前にインディーのトラックを試走。すると、その年のインディーの11列のグリッドのうち3列目に並べる好タイムが出た。そこでクーパーは1961年のインディーに Jack Brabham の操縦でインディーに出場することにした。 Climax エンジンは2.5リッターから2.75リッターに拡大、アルコール燃料仕様に改造してある。リア・バンパーの取り付けなど、車体もインディー用のものとなっている。
 クーパーはアメリカの大排気量の恐竜相手に善戦。小排気量にもかかわらず、ミドシップ COOPER-CLIMAX T54 のコーナーリングスピードの速さは目を見張るものがあった。また絶対的な車重が軽いので、燃料消費も少なく、タイアの摩耗も少なかったので、レース中のピットインは2回で済んでいる。しかしながら、ピット作業の不手際により結果は9位となった。クーパーのインディー挑戦は、これで終わりとなった。


MOTOR RACING YEAR 1961 より。右上の写真を見る限り、いかに COOPER-CLIMAX がインディーの Roadster よりも小さいかがわかる。

このクルマの保存状態はバラバラという最悪のモノだったようで、レストアには苦労したようだ。
http://www.tsrfcars.com/toys-full_size_cooper.htm







1964 S-C CORP'N‘HURST FLOOR SHIFTER SPECIAL’
直列4気筒 OHV 4.1リッター
 この奇抜なマシンは、‘BEST DAMN GARAGE IN TOWN’(街で一番の糞ったれガレージ)のキャッチコピーで有名な Smokey Yunick が仕立て上げた珍車。運転席がサイドカーのように横に付いた双胴船のような左右非対称というマシンはコレぐらいだろう。これほど馬鹿らしいモノだと愛着も沸くってものさぁ。ビンビンのマシンだったようだが、ハンドリングの調整に悩まされ、最終予選時に後ろから壁にクラッシュしレースには不参加となった。
  Smokey Yunick はNASCAR Mechanic of the Year を2回、インディーでは1960年に優勝し、Mechanical Achievements Awards も受賞している、北米の自動車レース界の功労者として新技術の発明者として有名な男だ。1962年のインディー予選ではダウンフォースを稼ぐための大型ウィングを取りつけて出場。史上初のウィングカーとなったが、予選ですぐにウィングは禁止となり、インディーにウィングカーが登場するのは1972年以降となってしまった。
 今回、展示されたインディーの中で自分が一番気に入ったマシン。やっぱり、アメリカ車は、これぐらいバカバカしいものでなくてはならない。
 INDIANAPOLIS MOTOR SPEEDWAY HALL OF FAME からの参加。
http://www.smokeyyunick.com/