Goodwood Festival of Speed 2011 THE ROADSTER ERA

 インディー500とは、バンクのついた1周4㎞のトラックをただ猛烈にぶっ飛ばすだけのレースで、そこではハンドリング特性とか、バランスのとれたブレーキ性能とか、最高出力だけでなく加速性に優れたパワーバンドの広いエンジン特性というF1では不可欠の高度な技術とは無縁の世界が繰り広げられている。それだけで、自分としては興味の対象から外れてしまう。知性のかけらが微塵もない、フランス車とは対極の野蛮な荒野が広がっているだけだ。まぁ、言って見れば、進化の遅れた恐竜たちが跋扈する世界だ。基本的には北米の、ただ広い直線の道路がどこまでも続くという特殊な道路事情を反映したものとも言える。
 THE ROADSTER 古き良き時代のインディーの主流。ロング・ノーズ、 戦前から続くOFFENHAUSER のエンジンを左にオフセットして搭載、プロペラシャフトがシートの横を通るので結果的に車高は低い、恐ろしく速いスピード……。その恐竜たちも、やがてF1からのミドシップによって絶滅の運命をたどることになる。
 


1941 MILLER‘PRESTON TUCKER SPECIAL’
直列6気筒 5リッター
 またまた、例の TUCKER が MILLER に造らせた驚きのインディー!
 ミドシップの4WDでディスクブレーキを装備。ヨーロッパに先駆けた技術のてんこ盛り! しかし、1941年のインディーに参戦するが、完走できずリタイア。その後、アメリカは日本との戦争に突入。戦後1946〜1948まで TUCKER がクルマの宣伝を兼ねて走ったそうな。




1952 FERRARI 375‘GRANT PISTON RING SPECIAL’
V12気筒 SOHC 380ps/7500rpm
 Aurelio Lampredi が設計した新エンジンを搭載。最大の特徴は、従来のように複雑で重くなってしまう転がり軸受を使用せず、英国 Vandervell 社製の薄肉鋼製バック・メタルにインディウムのオーバー・レイをかけた平面軸受を使用していること。これにより平面軸受の耐久信頼性が大幅に向上、レーシングエンジンの高回転耐久性が飛躍的に進歩したのだ。また、自然吸入エンジンの吸排気効率を高めるために大径バルブをとることが有利であり、ボアの大型化、即ち同一シリンダー容積に対してストロークよりもボアを大きくとるオーバー・スクエアの構成を一般化したのも、Type 375 である。
 Type 375 はF1戦前派の Alfa Romeo 159 を駆逐し、Alberto Ascari の操縦で1952年にインディーに挑戦した*1。しかし結果は12位で走っていた40週目でリタイアしている。F1のようには上手くいかなかったのだ。






1957 KURTIS KRAFT-OFFENHAUSER‘DAYTON STEEL FOUNDRY SPECIAL’
直列4気筒 OHV 4.1リッター
 古くは1934年にインディーで勝利した OFFENHAUSER を搭載している。このことだけでも単調な左回りのトラックをただひたすらフラット・アウトで疾走するだけというインディーの特殊な文化がわかるというものだ。
 さて、このマシンは曰くつきのモノで、あの偉大なる Juan Manuel Fangio がインディー500に参戦する予定だったクルマだ。
 インディーは資本主義の国アメリカらしく、早くからスポンサーの広告でボディが塗られていたが、DAYTON STEEL というオハイオ州の製鉄会社のドット重役(元アルファ・ロメオの技術者)はファンジオを広告宣伝に利用しようと画策する。1958年、ニューヨークでTV出演したファンジオに接触したドット重役はまんまとファンジオのインディー参戦の契約を取りつける。ファンジオはインディー参戦の条件であるドライビング・テストも楽々と合格し、公式予選の日を迎えることになる。しかし、この時、他のマシンを見てファンジオは驚くことになる。ライバルのマシンは最新型であり、それに比べてファンジオにあてがわれたものは旧式の時代遅れのものであり、とんだ SPECIAL であったのが判明したのだ。パワーも公称出力よりかなり低く、調子も悪かった。エンジンを乗せ換えたが、コーナーでの安定が悪く、ブレーキがお粗末なものであった。そこへブエノスアイレスから電話がかかる。ファンジオが始めた自動車関係の事業にトラブルが発生、すぐに帰国せよとのことであった。かくしてファンジオはアルゼンチンへ、彼のインディー挑戦は幻に終わることになる。
 その年のインディーは1周目に多重衝突事故が発生、ファンジオの友人である Pat O'Connor はこの事故に巻き込まれ亡くなっている。



1963 WATSON-OFFENHAUSER‘BARDAHL SPECIAL’
直列4気筒 OHV 2.65リッター ターボチャージャー
 1965年、Jim Clark によるミドシップロータスの優勝で Roadster の時代は終焉を迎えることになる。このマシンは1966年までインディーに参戦。最後の Roadster となった。ターボを装備したのはインディー初。戦績はリタイアで終わっている。
 ターボのタービンが外に露出していることに注意。

*1:当時、インディー500は形式上F1GP世界選手権に組み込まれていた。ほとんどのドライバーはインディー500を欠場している。