the Cartier Style et Luxe Concours  Fifties Finesse - Radical Car Couture

カルチェの続き、今回のテーマは“Fifties Finesse - Radical Car Couture”。50年代に於いて革新的な装いを身に纏ったスポーツカーたち。




1953 Siata 400F
Siata(Societa Italiana Auto Trasformazioni Accessori)は1920年代の創業で、フィアットのチューニング・パーツの製造を手掛けていた。トリノフィアット本社工場にほど近い場所にあったシアタは、やがて1930年代に自動車の製造を始めることになる。400F はダンテ・ジアコーザ設計、フィアット最強のV8,2リッターのエンジンをウェーバー・キャブレターにより105馬力から125馬力にチューンされたものを搭載。極端に低いシャシーに、若きミケロッティが Stabilimenti Farina (ピニン・ファリーナの兄の工房)のためにデザインしたもので、ボディは Balbo によるもの。10台のベルリネッタと25台のコンバーチブルが制作されたと言われている。コンバーチブルスティーブ・マックイーンも所有していた。





1955 Maserati A6G 54
Pietro Frua によって1955年のパリ・サロン(この時シトロエンDSもデビュー)に展示され、サロン終了後にパリの顧客に納品された。この個体は4台生産されたクーペ・ボディの内の3番目の個体。同じデザインで3台のスパイダー・ボディも造られている。フルアは1944年にトリノカロッツェリアを創業した。マセラティ製の直列6気筒,DOHC,3基のウェーバー・キャブレターを備えたF2用エンジンは125馬力にデチューンされて搭載されている。A6G の車重は元になったレーサー A6GCS よりも200㎏近く増加したが、それでも2リッター級のGTとしては非常に軽く、最高速度200㎞/hを誇った。ポップ・スター,ジャミロクワイの所有車としても有名である。






1951 Ferrari 340 America
純粋にレーシングカーのみを送り出していたエンツォ・フェラーリがアルファ・ロメオのワークス・ドライバー時代からの友人ルイジ・キネッティ(ムッソリーニが嫌いで亡命、後にレーシングチームNARTを率いる)の助言により、北米市場を狙って送り出した公道バージョン。キネッティにより北米で販売された。アウレリオ・ランプレディ設計によるドライサンプ4.1リッターV12エンジンを搭載。カロッツェリア・トゥーリングによるクラシカルなバルケッタ・ボディはファストバックのルーフをもつクーペとして2台のみが製造された。ボディはトゥーリング特許の“Superleggera”超軽量ボディ。
今回のカルチェのコンクールで優勝した個体である。


そして、そして…自分が一番気に入ったのは、


1952 Abarth 1500 Biposto
http://bit.ly/qGlqVb
シトロエンDSがこの世に生まれる前に、こんな前衛芸術があったとは驚きだ。さすが鬼才スカリオーネ