1953 Aston Martin DB3 Bertone Spyder


 DB3は戦後のアストン初の純コンペティション・モデル。同社初のスペースフレーム構造で、直列6気筒DOHCエンジンは当初DB2ヴァンテッジの2.6リッターをそのまま搭載していたが、後に専用の3リッターとなった。開発は戦前のアウトウニオン主任設計士エベラン・フォン・エベルホルスト。製造されたのは2年間でたった10台である。
 1950年代初頭にワークスやプライベーターによって数々の勝利をもたらし、アストンはその経験を元に送り出したDBR1によってルマン24の優勝を果たしている。




カレラが2004年にモデル化したのは、1953年のミッレ・ミリアに参戦したReg Parnell/Louis Klemantaski組のマシン。見事総合5位でフィニッシュしている(優勝はFerrari 340MM Vignale)。ボディはカロッツェリアベルトーネが低くスマートなボディを架装したもので、英国の鈍重な雰囲気とは無縁だ。



Alfa Romeo 6C 3000 CMを操るファンジオはステアリングの故障にも拘わらずフェラーリを猛追したが優勝できなかった。


写真でわかるように、グリルは塗装されている。ボディとは違う色のようだが何色かは不明。グリルがメッキのままのカレラは間違っている。そもそもボディの色も、もっと濃いように見える。