スポーツカー 小林彰太郎/高島鎮雄 共著

最近入手した古書、『スポーツカー』(ニ玄社)。小林・高島両氏による共著だが、これは後に彼らが発刊した自動車雑誌『カーグラフィック』創刊の前年に出版された写真集だ。定価1,500円とあるが、いまの貨幣価値では3万円ほどになる豪華本だ。
欧米のスポーツカーを紹介したもので、表紙のイラストは高島鎮雄氏によるもの。なかなか絵が上手いことに驚く。
これが原因で『モーターマガジン』を追い出された2人(小林氏はフリーライター)は翌年の1962年に『カーグラフィック』を創刊することになる。

まえがきが興味深い。

 自動車は、ヨーロッパではまずスポーツカー、ないしレーシングカーとして発達した。ところが明治以来の日本では、自動車は人間を運ぶより前に、まず軍用車であり、次にトラックであった。一方はレースによって育まれ、一方はトラックから進化した乗用車の間には、1961年の今日でさえ、全く異質な性格が強く感じられる。すぐれた乗用車は長年にわたるレースの貴重な体験の上に、はじめて生まれ得るものである。

まさにその通りで、1961年に日本車はようやく乗用車といわれるクルマを出すようになった。しかし、あくまでタクシー業界に向いたレベルの酷いモノだったのだ。
そんな時代に発刊された『スポーツカー』は、大都市でもあまり見かけない欧米のスポーツカーをメイクス別に紹介した写真集として、自動車マニア(カー気狂い)の夢をかなえたものだったに違いない。

メルセデスベンツメルツェデスベンツと紹介されている。自動車評論家の徳大寺氏が一時期メルツェデスベンツと称していたのは、小林氏への憧れだったのだろうか。写真は300SLだが、いまの貨幣価値でいえば1億円以上のスーパーカーだった。


左のページはファセル・ベガ、アルピーヌはまだA110誕生前だ。


この頃のアバルトの日本での知名度はあったのだろうか? 左下はアルファ・ロメオベースの幻のアバルト


いまではフェラーリなんぞよく見かけるが、フェラーリも日本に数台しかなかった時代。日本での知名度は低かったが、13ページも割いて紹介している。


ディスコ・ボランテ。アルファ・ロメオはジュリエッタの時代であり、まだまだ高級車だった時代だ。