1953(昭和28)年、東京都港区赤坂溜池


1967年の住居表示実施により東京から歴史ある町名が無くなって大そうな年月が経ってしまった。
赤坂の溜池と言えば、戦前から戦後にかけて輸入車のディーラーがひしめく町として有名な場所であった。
1925(大正14)年もの昔に溜池にあった輸入車ディーラーはアメリカ車がメインであったが、
日本自動車(株) フィアット ルノー 
日仏シトロエン(株) シトロエン
中央自動車(株) パナール
当時既にイタリアやフランスのクルマたちも、輸入されていたことに驚かされる。もちろん老舗の簗瀬自動車(株)もビュイック、GMC、キャデラックを販売していた。


1953年頃の輸入車ディーラーは相当儲けていたようだ。


自動車をめぐる商売往来
その中でも近頃有卦に入っているのは、自動車輸入業だろう。国内の自動車不足をいいことに、タンマリ手数料をもうけている。かつて手数料といえば、沖取料、通関料、工場への輸送料、組立料、エンジン試運転料、組立後の試運転料、販売後の6ヶ月フリーサービス料をこめて、売値の約25%とされていた。ところが今は苦労知らずの会社・銀行・官庁の金で車1台売れぬ日はない。輸入自動車の値段は、大体が着港渡し価格に、輸入税20〜30%、物品税40%の額を加えたのが適正価格なのだが、それで売るディーラーは、商売冥利を知らぬ輩である。たとえば大衆車のフォード・コンソルは、公定110万円のところ、大勉強して120万円、平均140万円、濡れ手に粟といって160万円、それでも役人は知らぬ顔、70余社のディーラー達は輸入外貨の余禄を平等に受けている。
(岩波写眞文庫『自動車の話』より)


1951-1956 Ford Consul
なんせラーメンが1杯35円の時代の話である、いまの物価でいえば10倍以上、大衆車の英国フォードが1台1000万円以上で取引されていたのだ。こりゃ笑が止まらなかったに違いない。それにしても税金が原価の7割というのも高すぎ、手数料の内訳も試運転料などという名目でふんだくられていたとわねぇ。これは売ってやるという態度だったのでしょう。



ディーラーの客が在日米軍兵士らしいのに注意。

ところで、昨日の記事の朝日新聞の引用で「外人名義の3万ダイを乗回していた特殊階級」という表現があったが、当の本人も何のことかわからなかったのだが、それが判明したので書き記す。

当時のナンバーは今と違い5ケタだったのだが、数字の3万代のナンバーは外人専用だったらしい。当時、東京都内では5000台もの3万代ナンバーが走っていたそうだが、その大半は日本人が運転していた。そこで朝日新聞は「3万ダイを乗回していた特殊階級」と書いたのだ。事実、輸入車を購入した外人(大半は米軍関係者)の大半は日本人に転売・売却していた。警視庁は摘発を開始、街の名士たちが多数呼ばれ自慢のクルマは没収、罰金は一律5万円(今なら50万円以上)をとられ大騒ぎとなった。
後にクーポン配給制となり、クーポンを取得した者が転売の権利を獲得するという制度となった。ところが悪質な不良米兵の詐欺が横行し、事前にクルマの代金を払っていても、さらに50万よこせと脅迫される事件も続出した。名義が変更できないので泣く泣く支払った人も多かったようだ。米兵相手では警察に訴えても無駄で、当時も今も米兵の犯罪は泣き寝入りするしかなかった。逆に被害者の方が、臨時物資需給調整法第4条にて犯罪者とされ、クルマは没収、10年以下の懲役または10万以下の罰金の罪となった。戦争に負けた哀れな日本人の悲劇である。