アルファ・ロメオ 100年の栄光と衰退 その20 1930〜40年代のアルファ・ロメオ栄光のマシーン

昨日に引き続き、紹介漏れした写真をいくつか。



“1931 8C 2300 Le Mans”
直列8気筒 DOHC スーパーチャージャー 2336cc 155ps/5200rpm 最高速200㎞/h

6C 1750 のエンジンをベースに2気筒追加。ヘッドは軽合金。3年間で9台が製造されている。
このアルファ、ダテに“Le Mans”の名がついているワケではない。1932、1933、1934年と3年連続ルマンで優勝しているのだ。ルマンで3年連続優勝なんて、没落した今のアルファからは考えられない。やっぱりアルファは戦前に限るなぁ。しかも32年時のドライバーはルイジ・キネッティ。あのエンツォ・フェラーリに市販車を売れと助言した男で、独裁者ムッソリーニが嫌いで北米に渡りフェラーリ・ディーラーを経営、フェラーリのプライベートチームNARTを結成し60年代のスポーツカーレースで活躍していることは有名な話だ。




“1940 Gran Premio Tipo 512”

水平対向12気筒 DOHC 2ステージ・スーパーチャージャー 1490cc 335ps/8600rpm
設計最高速度300㎞/h

この頃、ヒトラーの号令によるアウトウニオンの怪物マシーンはグランプリを席巻していたが、それに触発される形で開発されたアルファによる切り札が“Tipo 512”だ。水平対向12気筒エンジンはミドシップ搭載。リアアクスルはドディオン方式でミッションはトランスアクスル方式と革新的な技術を超満載していた。設計者は鬼才“Wifredo Ricart”とくれば、その革新的な設計に納得するはず。
彼はエンツォ・フェラーリと仲が悪く、戦後すぐにアルファを退社。故郷のスペインに戻り“Pegaso”に入社、フェラーリに対抗すべく超高級スポーツカーを開発したのは有名。
さて“Tipo 512”であるが、テスト中にクラッシュして炎上…。第2次大戦もナチスドイツによるパリ侵攻で本格化しグランプリも無期延期、幻のマシーンとなってしまった。残念無念也。