アルファ・ロメオ 100年の栄光と衰退 その1

ほとんど廃墟のようなアレーゼの旧アルファ・ロメオ本社。本社機能はフィアットのマルキオンネ会長による号令によりトリノフィアット・グループ本社に移転している。
残っているのは残務処理をやっている人だけ…。
もう稼働していない広大なアレーゼ工場の片隅にひっそりと“Museo Alfa Romeo”はある。


1908 DARRACQ 8/10HP
2気筒.1528㏄.10ps/1600rpm 最高速度40㎞/h

これはアルファ・ロメオのクルマではない。フランスのダラック社のクルマを製造していた“fabbrica Darracq Italiana”製である。
1907年、ダラックは急激に業績が悪化した。これに目を付けたミラノの投資家集団が1909年、ミラノ農業銀行からの融資でダラック・イタリアーナ社を買収することに成功したのである。翌年の1910年、A.L.F.A.(Societa Anonima Lom-barda Fabbrica Automobili)ロンバルディア自動車製造株式会社が誕生している。
アルファの誕生は決して感動的なものではない。典型的な資本主義の投資の話から始まったのだ。
その後生まれた、A.L.F.A.としての正式な1号車“24HP”はミュージアムにはなく、現在はトリノフィアットグループ本社エントランスに飾られている。
名実ともにアルファ・ロメオとなったのは1915年。筆頭株主の銀行が実業家ニコラ・ロメオに株を譲渡したことによる。



1913 A.L.F.A. 40-60HP
4気筒OHV.6082cc 82ps/2400rpm 最高速150㎞/h

ジュゼッペ・メローニ設計の6.1リッター4気筒エンジンは、当時としては画期的だったOHV形式のもの。都市間レースで活躍した。


1914 A.L.F.A. 40/60HP Aerodinamica
4気筒OHV.6082cc 70ps/2200rpm 最高速139㎞/h

上記の40-60HPシャシーに、当時からアルファ・ロメオには数多くのボディを架装していた老舗カロッツェリア“カスターニャ”が、有力な後援者リコッティ伯爵のオーダーに応えて、“シルーロ(魚雷)”と呼ばれるアルミ製流線型ボディを架装した有名なクルマである。テストではノーマル・トルペードより14km/hアップの139km/hのマキシマムスピードを達成、その効果を証明して見せた。飛行船のようなボディの中には、ちゃんとしたノーズのついた4座オープンカーが隠れた構造となっている。問題となったのは、空調設備が整っていないので窓が曇ることと、いまだワイパーは発明されておらず、雨の日は運転が不可能となることだった。



1927 6C 1500 SPORT
6気筒OHC,1487cc,54ps/4500rpm


1930 6C 1750 Gran Sport
6気筒DOHC,1752cc,102ps/5000rpm 最高速170㎞/h

1927年に名設計者として知られるヴィットリオ・ヤーノが世に出した6C1500は、小排気量ながらSOHCを備えるなど高品質かつ高性能なツーリングカーであった。ツーリングカーといってもスポーティーな性格を併せ持っていたから、当然のようにスポーツモデルが派生した。なかでも排気量を1752ccに拡大し、シリンダーヘッドをDOHC化した6C1750は成功作で、ルーツ型スーパーチャージャーを備えたスポーツモデルはレースを席巻した。展示車はザガート製スパイダーボディを備えた第4シリーズのGran Sportで、中央に追加されたヘッドランプなどのミッレミリア・トリムを持つが、1930年の優勝車(ヌヴォラーリ/グイドッティ組)そのものだという。添えられたスペックに102ps/5000rpmと記されているので、ワークスカー専用の、シリンダーブロックとヘッドを一体化しガスケットの吹き抜けを根絶した“テスタフィッサ”仕様となっている。


1930 6C 1750 Gran Sport
6気筒DOHC,1752cc,82ps/4500rpm
ロードバージョンの堂々たる風格を見よ。
アルファがいまだに1750㏄に拘るのは、この“Gran Sport”の輝かしい栄光があったからだ。