赤羽は昼間っからディープだ

もともと赤羽は宿場町として有名であつた舊岩淵宿であり、舊岩淵宿が舊赤羽村などと合併した際の町名は舊岩淵町とされてゐた。然し、當驛周邊は次第に經濟的に發展するやうに成り、かつ知名度から見ても、驛名と成つた「赤羽」と云ふ地名は「岩淵」よりも有名に成つて今に至る。


今囘は、職場の同僚である元リーゼントの暴走族、いまや薄つぱげの鳶の親父に案内してもらつた。
先づは、有名な「まるます」。勿論、朝からやつてゐる店で朝から常連で滿員。
店内は俺のオフクロの世代の元お姉さんが對応。鳶の親父お勸めの鯉コクとアライからスタート。
ビールはサッポロと云ふのが札幌生まれの自分にとつては嬉しい。夜勤明けで腹が減つてゐたので、大きなメンチカツとライスを注文。大滿足で店を後にした。


恐ろしく古さうな喫茶店は永久に閉店した儘のやうだ。


赤羽もアキバのやうな風俗が、、、。


昭和30年代(1950年代)からキャバレー ハリウッドを創業し、日本の大衆のためのキャバレー文化を根附かせたキャバレー太郎こと福富太郎。其の彼がオーナーの赤羽店である。


「まるます」に寄つたお客が次に立ち寄る率が高いのが此の店。
此處は「まるます」と違ひ、喫煙は許可されてゐる。爺さん、息子、孫と3世代で店を切り盛りする立ち飮み屋だ。
つまみは1皿150圓臺と云ふ安さ、種類も豐富だ。
http://akabaneikoi.web.fc2.com/


過去、日本人は世界一、自由の女神の僞物を多數作つてきた。
最近は絶滅したかと思はれたが、どつこい赤羽に生きてゐるのであつた。