40年間眠っていた HONDA S600 Racing

 自動車雑誌カーグラフィック601号(2011/4)にて記事になっていた、HONDA S600 Racingである。元はラリー仕様で車高も高められていたが、それをオリジナルの車高に戻し、1964年に開催された第2回日本グランプリ用のワークス S600エンジン+5段ギアボックスを搭載している。

 

 元々この個体は、鎌倉市から歴史的建造物に指定されている古我信生氏(故人、写真中央で立っている人物。左は寺田陽次郎氏)*1のご自宅である洋館*2の裏の小さな小屋の中に保管されていたものである。他に数台の S600がブルーシートに包まれて鉄くずと化した状態で発掘された。その中にはホンダ技研が試作した貴重なエンジンやギアボックスが含まれていたのである。


ワークス・エンジンには、クランクシャフトのカウンターウェイトにタングステン・ウェイトが打ち込まれている。もちろん軽量化のためである。この方式は60年代の第1期F1のV12エンジンにも採用されている。
キャブレターも市販型のスロットル・バタフライを持つCVキャブに対して、シリンダーをスライドさせるレース用のCRキャブに換装されていることにも注意。



ワークスの5段ギアボックスだが、熱を持ちやすいのが欠点。冷却のために穴を開けている(↓部分)。2〜5速までがシンクロつき。



ホイールは標準とオフセットが違う。



ラリー仕様なので、当時モノの積算計が搭載されている。イグニッション下のダイアルのようなものはハザード・スイッチ。



タコメーターの周囲に手書きで書かれた数字に注目。
ワークス仕様のエンジンが驚異の 14,000rpmまで回ることを証明している。ライバルに見られてもわからないように手書きだったもよう。



裏庭に埋まっていた S600。全部で7台が土砂や落ち葉が堆積した下で発掘された。殆どが朽ち果てていた。クーペだけが小屋にあったので奇跡的にレストアされた。



発掘されたパネル。埋もれていたクルマを引きずり出そうとすると真っ二つに引きちぎれてしまったそう。



本田技研製のツインプレート・クラッチ。左上のプレッシャー・プレートにダイアフラムが使われていることに注意。日本初と言われている。


取材協力 ZAT company.

*1:1963年8月に開催されたリエージュ−ソフィア−リエージュ・ラリーに鈴木義一氏(同ラリーにて事故死)とホンダS500で参戦。その後、オストリッチ・カー・クラブ(OCC)を結成しレース活動を開始。1968年に開催された London–Sydney Marathonに弟子の寺田陽次郎氏と参戦した。

*2:1916年に三菱銀行の荘清次郎が建設した別荘。