Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 11 Delage & Delahaye


1936 Delage D6-70 Special
Delage 3000cc 6cyl.

 自動車創成期、顧客であるお金持ちの道楽として始まった「馬なし競争」とも言うべき自動車レースは、メーカーにとって格好の宣伝材料となっておりました。お客さんは日曜日のレースの勝利車を月曜日にはショールームで買うことができる。Louis Delageは、この概念をよく理解し、1905年には自動車メーカー Delageを設立するやいなや、彼は自社のクルマでレースを始めた。 De Dion社のエンジンを搭載した彼の 'voiturettes'は、1906年に開催された Coupe de Voiturettesのようなレースで素晴らしい結果を収めることとなります。


1908 Delage 'voiturettes'
左端の人物が Louis Delage。



1911 Coupe de Voiturettes Delage Team.



Dick Seaman sur sa 15 S8 en 1936

 Delageにより送り出されたレーシング・カーのパフォーマンスと複雑な構造は、1926年にデビューした伝説の 15 S8で絶頂に達した。その名が示すように1.5リッター直列8気筒エンジンを搭載。スーパーチャージャーで過給される洗練されたツインカム・エンジンは170馬力以上を発揮。1927年のスペックで、その年のグランプリに於いてコンストラクターズ・チャンピオンに輝きます。その年のレースでは Monthleryで開催されたフランスGPにおける1〜3位まで独占するという素晴らしいレースも含まれております。しかしながら、予想外の大きな栄光には莫大なレース費用がかかっており、そのシーズンの終わりに Delageはレースから撤退を決断します。生産された4台の 15 S8は、プライベート・チームにより、その後20年にも長きにわたり、レースで活躍することとなります。



 レーシング・カーが成功し続ける一方で、Delageの経営環境はゆっくりと下っていくことになります。30年代初頭の世界恐慌は Delageに壊滅的な打撃を与えた。他の高級車同様に、洗練された高品質の自動車の需要は激減してしまったのでありました。1935年に同社は精算され、その貴重な技術と洗練された高品質の自動車遺産は Delahayeに引き継がれることになります。幸いなことに Delahayeは Louis Delageの求めていた高品質で洗練された高級車を世に送り続けます。また高級車市場におけるレースの重要さも認識しており、新型のレーシング・カーの開発も怠りませんでした。


 さて、シングル・シーターのグランプリは、ドイツとイタリアのファシスト政権による国家予算投入によって、莫大な費用がかかるレースとなっており、現実的な選択ではなかったのでした。よって、フランス国民に人気となっていたル・マンや、モンテカルロ・ラリーに集中することになっていきます。Delageは 1923年の第1回ル・マンに於いて13位となったが、そのリベンジとして 1936年のル・マンに参戦することが決定。 Louis Delageからはシャシーとエンジンが Delahayeに供給されることとなり、Delahaye 135CSが参戦する。参加車両として承認されたのはレース開始の数ヶ月前であった。パリ市内の Delageディーラー Walter Watneyと Delahayeから、具体的には3基の直列6気筒レーシング・エンジンと Delahaye 135シャシーが供給された。流麗なボディデザインで有名な Joseph Figoniにエアロダイナミックスなボディの架装が依頼されている。
 Delage D6-70 Specialと称されたレーサーはレースに間に合ったが、フランス国内でストライキが多発するという不穏な社会状況を考慮し、1936年のル・マンは中止となってしまう。翌年、Societe R.Vチームによって参戦した#19 Delage D6-70はJacques de Valence de Minardiere / Louis Gerard組により4位でフィニッシュ。Delahaye 135CSは2〜3位を独占する。優勝は Bugatti Type 57G Tankであった。


1936 Delage D6-70 Figoni & Falaschi
 ル・マンが中止されたために、レースには出場できなかったが、そのコンパクトなボディに架装された華麗なボディは、Concours d'Eleganceの注目の的となった。悲しきかな、その Figoniのデザインよるクーペボディは、1938年に Figoni & Falaschiによるロードスター・ボディに乗せ変えられてしまっている。それが、ル・マン・クラシックに参加している個体である。