Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 6


1930 Talbot 90 PL 2Talbot 2276cc 4cyl.

 Talbotは自動車創成期のフランスのメーカー Clément-Bayardを輸入販売する英国の企業として、1903年に Charles Chetwynd卿によって設立された。1905年には部品をフランスから輸入して組み立て Clément-Talbotブランドとして売り始めた。第1次大戦中は救急車の製造に携わっていたが、1919年にパリに拠点を置く英国資本のメーカー Darracq(Alfa Romeoはこの Darracqのライセンス生産から始まった)により買収され、Darracqが製造したクルマを Talbot-Darracqブランドで販売した。後に Sunbeam-Talbot-Darracq (STD)に編成されたが、1935年には破綻。フランス工場は Anthony Lagoが買取、高級車メーカー Talbot-Lagoとなる。

 1916年にスイス生まれのエンジニアである Georges Roeschが Talbotの設計主任となるが、彼はその時代のエンジンが騒々しいオーバーヘッド・カムシャフトとスーパーチャージャーの組み合わせであることに不満を抱いていた。もっとシンプルになりやしないか。。。
 高回転なエンジンを実現するために、非常識な高圧縮比と超軽量の部品を組み合わせてハイパワーのエンジンを完成させた。実際、最初に完成した小さなOHV4気筒エンジンは、既製の Talbot-Darracqレーシング・エンジンよりも高いパフォーマンスを記録し、彼の考えが正しかったことを証明することとなる。STDの Louis Coatalenはそのエンジンに感銘を受け、1925年に Roeschを工場に送り出す。そこで彼は騒音の少ない高性能車の実現を果たすこととなる。
 生み出された新型の Talbot 14/45は保守的なラダー・フレームであったにもかかわらず、ボディのデザインはクリーンであり、搭載された6気筒エンジンはローラーベアリングを使用していた。バルブの駆動はギアによるもので、騒々しいチェーンを排除することにより、より高回転のエンジンを実現した。またスモール・ボアを実現したので結果的に税金も安くなったのである。
 1930年のル・マンに参戦した Talbot 90 PL 2は、その流れを汲む4気筒エンジンで90馬力という高出力を武器に8リッター・クラスの Bentley Speed Six相手に善戦する。
 英国人 Arthur W. Foxと Charles Nichollによるチームの#15と#16が3〜4位を占めることとなった。




1931 Talbot 105
Talbot 3400cc 4cyl.



1934 Talbot 105
Talbot 3400cc 4cyl.



1934 Talbot 105
Talbot 3400cc 4cyl.

 1930年のル・マンが予想以上の結果に終わったことに Roeschは喜び、翌年のル・マンには戦闘力をアップした 140馬力のマシンを投入、スーパーチャージャーで過給したアルファやメルセデス相手に善戦。前年と同じ Arthur W. Fox / Charles Nichollによるチームの#11 Tim Rose-Richards / Owen Saunders-Davies組により3位でフィニッシュしている。
 最終的には 160馬力までパワーアップされ、長年にわたってレースの覇者となった。1935年に STDは破綻、Talbotはレース参戦を止めることとなる。買収先の Rootesグループが中止を決定したのであった。その後 Talbotが独自のクルマを造ることはなくなった。
 ル・マンに Talbotで参戦、好成績を収めた Arthur W. Foxと Charles Nichollのチームは、1935年のル・マンに Lagonda M45R Rapideで参戦、見事優勝を果たしている。