The Legend of Tazio Nuvolari Part 9


"1932 Alfa Romeo Tipo B (P3) - caracciola (left), nuvolari (at wheel), campari (right)"

 Nuvolariは、地元イタリアは勿論、ベルギー、フランス、モナコなど、各国で開催されたグランプリにて優勝を遂げ、世界のトップレーサーにのし上がった。
 1932年には、40歳を迎え、髪に白いものが混じるようになったが、そのドライブ・テクニックは益々冴え、研ぎ澄まされていった。そのレースの1つ1つに興味深いエピソードが残されている。
 イタリアはピエモンテの Alessandriaで行われたレースでは、木に激突して右足を骨折した。しかし、右足にギブスをはめたままドイツのレースに出場し、ドイツ人たちを驚かせた。
「そんな足で、クルマの運転ができるのか?」
 と、訊かれた時、Nuvolariは次のように応えた。
「左足で、クラッチとブレーキとアクセルを踏めばよいだけさ」
 そのために相棒のメカニック Compagnoniは、クルマを改造し、3つのペダルの感覚を狭めた。とにかくこれで4位に入賞したのだから、大した男であった。
 同年の Targa Florioでは、重心を低くしてコーナーを速く曲がるために、同乗メカニックの Mabelliに対し、「俺が叫んだら床に伏せるんだ」とレース前に指示した。結局、レース中に Nuvolariは叫び続け、 Mabelliが外の景色を眺める時間は少なかった。結果は1位。



1932 Targa Florio Tazio Nuvolari (alfa romeo 8c 2300)
 
 最終的に32年シーズンは2位の Borzacchiniに4ポイントの差をつけ、グランプリ・チャンピオンとなった。 Alfa Romeo Tipo Bを操る Nuvolariは向かうところ敵なしであった。
 作家でムッソリーニ国家社会主義を支援した Gabriele D'Annunzioは国威掲揚の扇動者になると Nuvolariを讃え、黄金の亀のバッジを贈呈した。それ以来、Nuvolariは黄金の亀をつけ、それが彼のシンボルとなり、お守りとなったのである。