1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 6

 モーター・スポーツのファンの大多数が、北米で唯一のFIA世界選手権レースである Sebring観たさに、現在のような州間高速道路が無い時代であったにもかかわらず、遠く全米から集まった。遠くは西海岸からクルマでフロリダまでやって来ていたほどであった!

 全国からスポーツカー・クラブが集まり、中でも Miami Sports Car Clubのメンバーが一番多くレースに参加したものだから、その数は最大で早朝からクルマを調整していた。グランドスタンドのクラブ員エリアを誇示するため、彼らはバナーで場所を仕切っていた。この頃の Sebringはレーサーだけではなく、観客らも12時間に渡り食べ物、飲み物を調達。シャワーなどの設備のないサーキットで耐久レースを強いられるのである。野郎は良しとしても女の子から苦情が出るのは必須だった。しかし、こんな事でレースの人気が落ちることは無かった。若い彼らはドンチャン騒ぎで大いに楽しんだのである。

 サーキットの警備を任された警察は、タダでスタンドに忍び込もうとする者よりも、犬に神経を尖らせていた。過去、犬がサーキットに飛び出し、それを避けようとしてあわや大事故という事が起きたからだ。

 Sebringはまた、自慢の愛車を披露する絶好の場所でもあったし、最先端のファッションを見せる場ともなっていた。帽子と小物が 57年 Sebringの流行であった。女性はツバの大きな麦わら帽子を被り、大きなぬいぐるみを持ち歩き、男はナッソーの警察官が被っている“topee” ヘルメットを被って歩いていたりした。



 若い女性は露出度の高いショートパンツにトップはビキニの組み合わせで、練り歩いていた。警備の地元警官はこれに釘付け。フランス Renaultチームのベルギー人女性ドライバー Gilberte Thirionは温かいフロリダを楽しむために、ホテルのプールでビキニの水着で日光浴。ワンピースの水着が当たり前の時代でしたから街中が大騒ぎ。ホテルのお客が2倍に増えたという。


Gilberte Thirion (1928-2008)