Goodwood Festival of Speed 2011 JAGUAR'S LE MANS CHALLENGERS Part2


 JAGUAR は1951年ル・マン24時間レースに出場、Peter Walker に率いられたレーシング・チームの Peter Walker/Peter Whitehead の操縦で優勝。平均速度147.6㎞/hで、1935年 Lagonda の同レース優勝以来、実に16年ぶりに英国に勝利をもたらしたのである。優勝のジャガーは“XK120C”と呼ばれた所謂 C-Type である。限定生産され特定のチームのみに売られたもので、そのエンジンは市販モデル XK120 のものと基本的には変らないが、シリンダーヘッドは新設計により 6000rpmで 213ps。シャシーは XK120 とは全く異なり、軽量かつ強固なチューブラー・フレーム。アルミボディーの美しいボディー、Wウイッシュボーンとトーションバーの前輪独立懸架、リアはソリッド・アクスルではあるが、リンクとトーションバーを巧みに組合せたそのメカニズムは、ド・ディオン式に匹敵するといわれる。ブレーキはロッキード製の最新ドラム・タイプの本格的なコンペティション・カーであった。


1952 JAGUAR C-TYPE
直列6気筒 DOHC 3442cc 205ps


1952 JAGUAR C-TYPE‘LOWDRAG’
直列6気筒 DOHC 3442cc 220ps/5800rpm
 1951年のル・マン優勝によって自信を確かにした JAGUAR は、翌年3台の C-Typeル・マンに参加させた。
 Stirling Moss/Peter Walker、Peter Whitehead/Ian Stewart、Tony Rolt/Duncan Hamilton の各ドライバーに委ねられたマシンは、イギリス本国で充分なテストを重ね、特にル・マン用に新架装された Moss の‘LOWDRAG’ボディは、より車高が低められ、少なくとも 15% も空気抵抗を減らし、その結果 32ps の出力増加に等しいと見られた。ボンネット前部が非常に低められたため、ラジエターグリルはかなり小さく、充分な冷却が得られるか疑問が残された。
 今回の強敵には、戦後再びレース界にもどった巨人、Mercedes-Benz 300SL クーペの4台が参戦していた。JAGUAR は敢然と戦いを挑み、中でも Moss のマシンはスタートは快調、先頭グループにあったが、数時間が過ぎると遂に心配していたオーバーヒートが起こる。他の2台もヘッドガスケットを吹き飛ばし、早期にリタイアすることとなった。
 1953年 JAGUAR は、ル・マンに4台の C-Type で参加。前年の3組のベテラン・ドライバーに加えて、Roger Laurent/Charles de Tornaco組のベルギー・ドライバーで強力なチームを組織。さらに加えて、初めて Girling 製の強力なディスク・ブレーキを装備したのである。前年の覇者 Mercedes-Benz 300SL は参戦しておらず、レースは初めから完全に JAGUAR のペースで、中でも Tony Rolt/Duncan Hamilton 組のマシンは終始高ペースで首位を保って逃げきり、C-Type による最後のレースとなった。このレースに全車が完走、上位入賞の大勝利を成した。Rolt,Mossの順で1,2 位、Whitehead4位、Laurent9位、優勝した Rolt は4088㎞を走破。平均速度169.3㎞/hでメルセデスのレコードを完全に打ち破ったものであった。




1956 JAGUAR XK140
直列6気筒 DOHC 3442cc 220ps/5600rpm
1953年のル・マンでの勝利の余韻が冷めやらぬ翌年、世界にその実力を立証した XK120 は、XK140 としてロンドン・ショーにデビュー、出力も 30ps も上まわるものであった。どことなく無骨なスタイルは英国製航空機に通じるものがある。
この個体は1956年のル・マンにて Roger Walshaw/Peter Bolton により出場、17位でリタイアしたクルマである。