ファン・マニュエル・ファンジオ 生誕100年 Part4


アルゼンチンのナショナルカラーに塗られたファンジオの Maserati 4CLT
水冷直列4気筒 1490cc DOHC 4バルブ スーパーチャージャー 260ps/7000rpm

 1948年、Achille VarziGigi Villoresi といった欧州のスター・ドライバー達がアルゼンチンに訪れた。その頃、世界最高のドライバーと言われたフランスの Jean-Pierre Wimille もいた。アルゼンチンを転戦するグランプリが行なわれたのである。
 欧州の名ドライバーを迎え撃つためにアルゼンチン自動車クラブは2台の Maserati 4CLT を購入。その1台にはファンジオが乗ることになった。彼にとって初めてのモノポストの体験となった。それまでフォードやシボレーなどアメリカの市販車を改造してレースに出ていたファンジオにとって、強力な加速と、すばやいシフト操作が可能なミッションは想像以上のものであった。
 公式予選でファンジオは2分39秒4のラップタイムを記録した。これは同じマシンに乗る Gigi Villoresi のタイムより、2秒4遅いだけであった。これにはファンジオ自身が驚いたようだ。第1ヒートは Villoresi が優勝、ファンジオは4位と上位に食い込んだ。ファイナルはまたもや Villoresi が優勝、ファンジオはプラグが焼けすぎてリタイア。しかし、Jean-Pierre Wimille がファンジオを高く評価した。
「もし、あいつの気性にピッタリのマシンに乗れば、ファンジオはいつかきっと奇跡を引き起こすぞ」
 この言葉がファンジオを勇気づけ、公道レースばかりだったファンジオにサーキット・レースへの傾倒を後押ししたのだった。
 

Simca Gordini T11に乗るファンジオ
水冷直列4気筒 1089cc OHV 74ps/5500rpm

 南米でのフォーミュラー・レースを重ねるうちにファンジオはヨーロッパでも注目されるドライバーとなっていた。ロサリオ・グランプリでは直線が短くカーブが多いコースだったので加速性能に優れる Gordini T11 にファンジオは乗ることとなった。ファンジオは同じマシンに乗る Wimille とデッドヒートを繰り返した。結果はオーバーヒートでリタイアとなったが、ファンジオは最高ラップ・タイムの記録を出したのだった。レース終了後 Wimille はファンジオと握手し、暖かい言葉でこう言った。
「君が一流のドライバーになると前にも言ったろう。もう少し待ちたまえ、きっとなれる」
 それまでのファンジオの夢は、せいぜい南アメリカの範囲内の夢であった。ヨーロッパのチャンピオンに挑戦するなどということは考えもしなかった。しかし、その時から夢は果てしなく広がり、いつしかヨーロッパで並みいるトップ・ドライバーと戦うことを夢見ていた。
「もし運が味方に付けば、ヨーロッパでも暴れて見せる」
 ヨーロッパへの夢は、次第に大きくふくらみ、ファンジオは、もはや引き返すことはできなくなっていた。