60年代 日本人レーシングドライバーの生活

 1967年7月15日の初版本。著者の杉江博愛氏というのは徳大寺有恒氏の本名である。まだ彼が経営するレーシング・メイト社は健在であった。元トヨタ・ワークス・ドライバーであった彼が、その視点でモーター・スポーツへの思いを書き記した本である。その中に当時のドライバーの給料などが記されており興味深い。

 日本のドライバーの収入は外国のようにレースの賞金も多くなく、有名ドライバーに対するスターティング・マネーも出る場合が少ないから、彼等の収入はチームから受ける月給と、レースに勝利を収めたりするときに出ることがあるボーナスの、2つであるといえる。またごく特定のドライバーには契約時に契約金が支払われるという。その契約金がいかなる数字化は明らかでないが、100〜150万円ぐらいということらしい。そして参加報酬は高い人が月20万円ぐらい安い人は5万円ぐらいとすると、最高で月20万〜25万円、下は5〜8万円ということになる。このトップクラスの報酬を受けられるドライバーは日本に2〜3人しかいないだろう。10〜15万円が5〜8人、5〜10万円が15〜20人といったところである。
 このワークス・ドライバーになると、メーカーから乗用車が1台無償貸与されることが多い。プリンスならグロリア、トヨタならクラウン、日産はフェアレディというようなプライベート・カーが支給される。生沢などはクーラーつきのグロリアに乗っていた。
(中略)
 彼らのプライベートな時間は知るよしもないが、トップ・ドライバーのある人々は家庭を持っている。そのような人々はおそらく平日はのんびり、家庭でくつろぐことだろう。またまれに人気商売なので酒席に呼ばれるかもしれないが、それ以外毎日飲んでいるというドライバーは少ないだろう。独身のドライバーとなると、少々趣が変わってくる。いまをときめくレーシング・ドライバーで金も少々あるし車もある。しかも悪いことに暇もあるということで、22〜25才くらいのトップ・ドライバーにとって誘惑は多いはずである。
 私の知る限りでも現在トップ・ドライバーといわれる人、それともう少しでワークス・ドライバーという人などにも少々遊びが過ぎると思われる者もいる。先にも述べたように日本のドライバーの中には純然たる4輪組と、モーター・サイクル・レーサーからの転向組とある。もう少し分類を進めてテスト・ドライバー組と契約組とある。各々がラップし合うのであるが、概してモーターサイクル組は地味なムードがある。そしてそれはテスト・ドライバー組にも共通しているのである。だから純然たる4輪組で契約選手が一番派手な私生活を送っているということになるが、もちろんその例外もある。しかしどちらがよいということではなく、大切なのは各々のスタイルであろう。

 1967年当時の大卒初任給は26,150円。2010年現在では207,445円となっているので、ほぼ8倍の価値となる。トップクラスで契約金が800万円で月給160万円。死ぬ可能性が限りなく高いスポーツのギャラとしては安すぎると思うがどうだろうか。
 ちなみにコーラが35円、週刊朝日50円、ビール大瓶が120円の時代に、この本の定価が600円。いまに直せば4,800円の豪華本である。昔の人は本にお金をかけることを惜しまなかったようだ。