アルファ・ロメオ 100年の栄光と衰退 その16 70年代 Montreal と ALFASUD

さてさて、60年代の夢は足早に通りすぎ、アルファ・ロメオはいまに至る転落を始めるわけです…。


“1967 Montreal”

1967年、人類は大量消費の社会が未来永劫と続くものと信じておりました。カナダ・モントリオール万博の自動車展示ブースに「人類の最大の望みが具現化されたクルマ」と称されたショーカーが展示された。デザインはベルトーネ。ジュリア・スプリントのシャシーにエンジンはジュリアTIのものが搭載されていた。これにより、量産タイプよりもボンネットが低い。

万博会場では大きな話題となり、アルファ・ロメオの宣伝となった“Montreal”はこのまま量産しても成功するとアルファ幹部は確信し、Goサインがでることとなった。



“1970 MONTREAL”
90°V8 DOHC 2593cc 200ps/6500rpm 最高速220㎞/h

エンジンは33コンペティツィオーネのエンジンをデチューンして搭載。その搭載に手こずり、モントリオールはカナダ万博から3年後のジュネーブ・ショーで発表された。しかし3年の歳月により、当時斬新だったデザインも時の流れを感じさせるものとなったようだ。しかし、その走りはアルファのトップレンジの名に恥じないもので、公称最高速度は220キロはいともたやすくオーバー、加速力、コーナーリング性能は1級のものであった。70年代初頭のオイルショックにもかかわらず販売はおおむね堅調で、77年までに3925台が生産されている。



“1971 ALFASUD 1.2”
水平対向4気筒 1186cc 63ps/6000rpm 最高速152㎞/h

イタリア政府による南北格差の是正要請にて設立されたナポリの新工場*1。ここで生産されることとなったのが“ALFASUD”だ。イタルデザインによる5ドア・ハッチバックというボディはアルファにとって初めてのものであった。1200㏄という小排気量でやっと我々にも買えるアルファ・ロメオが登場したとフィアットを買っていた大衆は喜んだが、蓋を開ければ販売価格は142万リラとこの当時のクラスとしては最も高価なものと期待はずれとなった。
しかし、そこに投入された最新技術は素晴らしいものがあった。アルファ初のFFであり、新設計のフロント、マクファーソン・ストラットは最高のロードホールディングときびきびしたハンドリングをもたらし、ボクサーエンジンは軽やかに吹け上がり、4輪ディスクブレーキを備えていた。
後に“SPRINT”も投入され、13年間で90万6000台というロングセラーとなった。


一見、スッド・スプリントのレーサーのようだが…。


なんと、ミッドシップのプロトタイプ。実験で終わった幻のマシーン。



“Alfasud Caimano”
イタル・デザインによるコンセプトカー。

*1:これによりアルファ・ロメオのエンブレムからミラノの名が消えた。